老夫婦が辛苦を乗り越えて福島に帰った理由 故郷へ戻ることに理屈なんてない

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校庭を眺めていると、大量の雑草の隙間から椅子が何個か転がっているのが見えた。家の中だけが2011年3月11日のままで止まっているのではない。住宅はもちろん、街の生活を支えていた店や学校、人々の足となっていた交通機関まで。かつて人間がいた場所はすべて、あの日のままだ。福島だけがあの日のまま止まっている。復旧も復興もできないまま、いまだ答えがわからない放射能汚染という不安を抱えて、何もできずに止まっているのだ。

筒抜けの窓から夕日が差してきた。この請戸小学校は5年間も毎日毎日、誰にも知られずこの夕日を浴びてきた。誰もいないコンビニエンスストアも、木幡家も。人間の声で溢れていた街は、一瞬にして、無人の、色のない街に変わってしまった。そんな変わり果てたこの場所に、木幡夫妻は再び、生活の根を張ろうとしている。

理屈を超えて自分を縛る「故郷」

福島に実際に足を運ぶまで私は、「生まれ育った場所が恋しいんだろう」という勝手な想像の元で彼らの決断を理解していた。しかし、実際に福島にやってくると、そのようなきれいごとでは理解しきれない、想像を絶するような現状があった。

誰もいない、変わり果てた街。いまだ地震や津波の爪痕が各所に残り、自然は暴れ果て、ご近所さんもいない街。木幡夫妻はどうしてそこまでこの街に帰ろうとするのだろう。私の疑問は、現状を見てさらに大きくなっていった。実際に東京で暮らす娘たちは、木幡夫妻の決定に猛反対した。

「場所を選べばおカネなんて何とかなるのに、どうしてわざわざそんな危険な場所に戻るの?」

娘さんの言葉は私の疑問を含めた一般論でもある気がした。福島から東京に戻るまでの車中、私はこの思いを尭男さんにぶつけてみた。尭男さんは「そうだよね」と頷いた。そして、私にこう尋ねた。

「君には、故郷ってものはあるかい?」

故郷。この言葉は私には何だか遠い言葉のように感じた。「わかりません」と答えると、「きっと娘たちも自分の故郷がどこか、ちゃんとわかっていないんだ」と言う。

「故郷が恋しいというよりも、固執してしまうんだよな。家があって、墓があって、田んぼがあって、山があって。そういうふうなものに少し、縛られてる」

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