いじめの認識が甘すぎる小中学校にモノ申す 「ウチにはない」と言う教師は信用できない

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この定義の前提は、学校や教育委員会が「被害者の立場に立って」いじめの対応をするということである。端的に言えば被害者と加害者の間に、「一定の関係性が認められ」「何らかの行為があり」「被害者が心身の苦痛を感じた」時点で、いじめと認められる。

正直、一度読んだだけで意味を把握するのは難しい。だが、今のわかりづらい定義ができたのは、いじめを理由にした子どもの自殺が減らないことを国が考慮した結果である。いじめを広義に認定することで、その早期発見を促そうとしているわけだ。

いじめを解決する立場の私からすれば、いじめが深刻化する前に対応できる現行の定義はありがたい。ところが、いじめかどうかを判断する学校や教育委員会には不評である。というのも彼らの間では、今もなお学校にいじめのある事実が不名誉だという意識が強く、いじめが認められやすい現行の定義に反発心を持つ教師や、そもそもこの定義を知らない教師が一定数いる。ちなみに私のところに来る相談者の多くも、わが子のいじめ被害をきっかけに、この定義を知ったという方が多い。

教師の反発や無関心、親の認知不足など、現行の定義はなかなか当事者たちに浸透していない。冒頭の私が出会った教師もいじめの定義を理解していない、あるいは反発しているゆえに、「ウチの学校にはいじめがない」と発言してしまったのではないだろうか。

「いじめの件数」は、なぜ1年で10万件も増えたのか

こうした現状の打開に国も苦慮している。私が2017年10月に出会った文科省の幹部の1人は、「現行の定義どおりにいじめを認知しない教育委員会や学校があまりにも多い。今のままだといじめ問題は改善しない。だから、かなりしつこく定義どおりにいじめとして数を挙げるようにお願いしています」と言っていた。

彼らの努力のかいあってか、2017年10月末に発表された2016年度のいじめの総数はおよそ32万件あまり。2015年度と比較して、10万件近くも増加した。

逆にもし文科省の要請がなければ、10万件のいじめが認知されないままだったわけである。

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