52歳「ミスターSASUKE」山田勝己の甚大な鍛練 初参戦から20年超、人生を懸けて挑み続ける

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ところが、およそ1年後。山田の電話が鳴った。第2回SASUKEへの参加の呼びかけだった。今度は、まだほんの少しだったが、山田の胸を高鳴らせた。

「終わってからも悔しさがこみ上げてくるんです」(写真:TBSテレビ提供)

「あっ、次やるんや。今度は絶対に最後まで行って、優勝賞金200万円もらってやるねん」

だが、その気持ちの高揚とは裏腹に、第1回同様、SASUKEの壁が立ちはだかった。

「第2回から場所も室内から屋外の緑山スタジオに変わって、雰囲気も全然、違った。気持ちも入ったんですが、結局、また2ndステージまでしか行けなかった。同じ相手に2回、負けた。それが許せなかった。終わってからも悔しさがこみ上げてくるんですよ」

なにかにのめり込むきっかけは「敗北」

負けず嫌い―――

山田勝己という男を形作っていく歩みの中で欠かすことのできない言葉。勝負の世界で生きる者にとってはありきたりではある。だが、山田のそれは、あまりに度が過ぎる。

小さいころから、変わらないこと(写真:TBSテレビ提供)

「負けたら悔しいじゃないですか。次は絶対に勝ったるぞって。僕の場合、なにかにのめり込むきっかけは『敗北』なんですよね。小さいころから、それは変わりませんし、1つのことに対する執着心というのは強いと思います」

そう言いながら記憶の扉を開けていく。

「小学生の3年生のときにマラソン大会に出場したときのことです。走ることには自信があったので優勝できると思っていたんですが、結果は4位だった。それが悔しくてすぐに長距離を走る練習を続けた。それで4年生からずっと優勝。

ちゃんとした経験がないまま高校で野球を始めたときも、すぐにエースで4番になってやると思っていたんですけど、すぐに肩を壊してピッチャーができなくなった。それなら打つほうだけはと意気込んでいたんですが、夏に3年生が引退して、2年生と1年生の新チームになっても、試合の遠征に連れて行ってももらえない。

夏からずっと15人くらいで学校に居残り練習の日々。11月3日に、その年の最後の練習試合があって、9回二死2、3塁の一打逆転の場面で代打に指名された。やっと巡ってきた打席。でもすべて見逃しで三球三振。ひざがガクガク震えてバットを振ることができなかった。野球ではそのとき初めて悔しいと思った」

と同時に、山田の脳裏に父親の言葉がよぎった。

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