52歳「ミスターSASUKE」山田勝己の甚大な鍛練 初参戦から20年超、人生を懸けて挑み続ける
中学校最後の陸上部の大会に向かう際、なにげなしに「行ってくるわ」と伝えると、普段、スポーツに関して口を挟むことのない父親が「勝ってこいよ」と返してきた。レースには自分よりも足の速い相手がいた。足は昨日の今日では速くなるものではないだけに、山田は「勝たれへんわ」と、つれなく言った。
「最初から負ける思うんなら行くな!」と父親。
「速い選手は速いんや!」
そのときはなにも感じずに言い返すだけだった。しかし、ピッチャーに向かっていくこともできなかったときに意味がわかった気がした。山田は練習に明け暮れた。
「そこからなにかにのめり込む際の度合いが激しくなっていったんです。春までの約5カ月、学校や寝ている時間以外はほとんどバットを振っていました」
一瞬、そんな大げさなと思ったが、山田ならありえる気がして、言葉を挟むのはやめにした。
「春になって最初の試合は出してもらえなかったんだけど、次の試合は8番で先発出場。今度は、ストライクが来たら絶対に見送らない。初球のストライクから打って出ると決めて、実際にストライクが来た。それをホームランにできた。次の打席でも初球を打ってホームラン。そこからずっと4番になった。あの三球三振がなければ、今のようにはなっていないです」
自宅にそっくりな手作りセットを組み上げた
第2回SASUKEで山田の行く手を阻んだのは「スパイダーウォーク」という種目だった。同じ屈辱を味わわないため、山田は動いた。自宅に手作りで「スパイダーウォーク」にそっくりなセットを組み上げてしまったのだ。しかも、その時点では第3回の開催があるかどうかが決まっていないにもかかわらず、である。
「もちろん、『今回で終わりです』と言われていれば作ってはいなかったと思いますけど、やるかもしれないという感じだったので。次、やるんやったら絶対に勝ってやる、と。そうしたら大会が終わって2カ月経たないくらいのうちに、第3回の出場打診があったんです。待ってました、ですよ」
スイッチが入ったのだろう。「スパイダーウォーク」は体重が重い選手には不利だと判断し、約3カ月後の決戦に向け、減量を始める。山田はここでも常軌を逸する行動に出た。
「15kgくらい落として、65kgまで軽くしました。ボクサーのように食べ物とか、水分摂取を制限した。お腹がすき過ぎて寝られなかったですし、あそこまで体重を落とすと精神的にも不安定になるんですよ。でも、できるかぎりのことをやって臨もうと思ったので、もっと練習しよう、もっと体重を落とそう。そんな感じでした」
あまりにも急激にやせたため、家族はもちろん、周囲も山田を本気で心配していた。
「おまえ、病院に行ったほうがええんちゃうか」
と何人にも言われた。もっと深刻だと見て取った人は後々、山田にこう打ち明けた。
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