五木寛之「孤独死は恥ずかしいことではない」 日本人よ、根無し草のように孤独であれ
――ただ、日本社会には「みんなといっしょ」を良しとする空気がありませんか。
浄土真宗には「真俗二諦(しんぞくにたい)」という考え方があります。信仰は大事だけれど、同じくらい世間も大事だという考え方です。
真宗の中興の祖である蓮如は「額に王法、心に仏法」という言い方をしています。世間の風に流されて自分を見失ってはいけないけれども、逆に無理に我を通しすぎても結局うまくいきません。
私自身、こうした二つの中心をスイングする感覚が大事だと思っています。戦後、思想家の花田清輝も「楕円の思想」というものを唱えていました。
真円は中心が一つですが、楕円には二つの中心点がある。ラグビーボールのように力点が移動しながら、どちらに転がるか分からない。
「和する」と「自分を守る」という相反する2つの中心。時代の転換期には、その両方のダイナミズムの中で生きていくのが良い。
「楕円の思想」であれば偏ることなく、複眼的な目、相対的な考え方を養えます。
――一つの考え方に固執しない方がいいと。
「思想」というと、永遠普遍の真理みたいなものを持つべきだと思いがちです。
法然は「時期相応」という言葉を残しています。その時代とその機会にふさわしい思想がある、と。
「念仏を唱えれば救われる」と、法然は唱えました。ただ、これは平安末期の時代だからこその「時期相応だ」とも言っています。
天変地異が続き、都が荒れ果て、戦乱が続き、この時代はまさに「末法の世」だった。
人々は仏道修行も、落ち着いて勉強もできない。そんな時代だからこそ「せめて南無阿弥陀仏と唱えれば...」という教えです。
いかに思想が優れていても「時機相応」でなければいけない。どんな教えも永遠ではないのです。
――「みんな」と「自分」という2つの中心を持ち、時と場合に応じて考え方を変える。
たとえば、20代から30代、40代、50代、60代、70代、80代では思想も生き方も違いますよね。
よく記者から「親鸞の思想って、どういうものですか」と聞かれるんですが、そんな時は「それは親鸞が何歳のときの思想ですか?」と聞き返します。
比叡山にいた頃と、29歳で山を下りたとき、流罪になって越後に行った時、関東に行ったとき、京に戻ったとき。90歳ごろまで生きるわけですから、思想も全然違ってくるんです。
なので、「何歳の頃の親鸞の思想」っていわれないと、説明しようがないんですね。どんどん発展するとは限らないけど、流動的に動いていく。
――いまの瞬間、その時々でどう生きるか。それが大事だと。
明治維新から150年。日本人は、なかなか近代的自我の確立ができていない。でも、ポストモダンの時代だと、「近代的自我」が果たして良いことなのかどうか。それも「時期相応」。時代によって変わります。
どんな思想も、昔と似た時代には役に立つことはある。ただ、全てのものは一回性のものです。
例えば『万葉集』がそうです。大きな声を出して、その和歌が歌われた瞬間。そのときに万葉集は生きていた。我々は今、残されたものをテキストとして読むだけです。
死を悼む和歌「挽歌」もそうです。例えば、天皇が亡くなると、葬列の先頭に詩人と警官が立ち、棺を運ぶ。大きな声で「帝がお亡くなりになった」という趣旨の歌を髪を振り乱し、叫ぶわけです。そういう中でこその「挽歌」です。