五木寛之「孤独死は恥ずかしいことではない」 日本人よ、根無し草のように孤独であれ

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――移民・難民の増加が、私たちの未来を示唆する。どういうことでしょうか?

21世紀というのは、デラシネ的な体制の保護をあてにできない民衆の数が激増する。一方で、それを拒むナショナリズムがまた勃興し、やがて閉鎖的な国家主義のようなものが出てくると思います。

地球上の人口も、2055年には100億人になると言われている。この激増ぶりは、人間が歴史上体験したことがないぐらいの規模でしょう。

混乱の時代だからこそ、せめて自分の体は自分でちゃんと面倒を見ようという姿勢が大事です。

社会福祉国家の代表国であるスウェーデンでは徴兵制が復活した。イスラム国によるテロを背景に、フランスも徴兵制の復活を検討しています。

世界はどんどんナショナリズムの方向へ動いている。移民や難民が激増してる一方で、国民国家は移民や難民を拒否しています。

――日本も、地政学的には移民に消極的では?

長く歴史が続いてきたから、単一民族的な意識が強いのかもしれません。でも、そうした意識も変わりつつあるように思います。

タレントさんでも、カタカナの名前の方を見かける機会が増えていますよね。サッカーやラグビー、野球、陸上などスポーツの世界でも。

昔は「ハーフ」という言葉が使われましたが、今は「ダブル」と言います。両方のアイデンティティーを持っているという意味ですね。

日本人の単一民族意識っていうのは「こうありたい」という幻想です。様々な場面で活躍し、自分たちが憧れ、愛する人たちが、歴史的に見ても外国にルーツを持つ人達が少なくありません。

“歴史の闇”に飲まれた人々を振り返り、生き方を考える

――大きなものに頼らずに生きていける……五木さんが、そんな「デラシネ」になろうと思ったきっかけは。

五木寛之:作家。1932年福岡県生まれ。生後まもなく朝鮮半島にわたり、47年に引き揚げる。52年早稲田大学第一文学部露文科入学。57年中退後、PR誌編集者、作詞家、ルポライターなどを経て、66年に『さらばモスクワ愚連隊』で小説現代新人賞、67年に『蒼ざめた馬を見よ』で直木賞、76年に『青春の門』(筑豊編ほか)で吉川英治文学賞を受賞。また英文版『TARIKI』は2001年度「BOOK OF THE YEAR」(スピリチュアル部門)に選ばれた。02年に菊池寛賞を受賞。10年に刊行された『親鸞』で毎日出版文化賞を受賞(写真:奥西淳二)

やはり、戦後の体験が1番大きいですね。僕は12歳のときに朝鮮半島で終戦を迎えて「棄民(政府に切り捨てられた民)」となり、それが思想の根っこになりました。

僕は平壌にいましたが、敗戦前後は旧満州から森を越え、白頭山を越え、避難民が続々と流れ込んできた。「平壌まで行けば列車が出てる」というデマが飛び、みんなが平壌を目指して流れ込んできたんです。

僕ら家族は大混乱の平壌を離れ、38度線を徒歩で超え開城(ケソン)につきました。そこでは、いまでいう難民キャンプに収容された。さらに仁川へ移動し、アメリカ軍の船で日本に戻ったころには1年以上かかりました。

――あの時代は、日本人が「難民」になった時代かもしれませんね。

世界には、そうした「歴史」に全く取り上げられず、無視されてきた無数の人々がいます。

中公新書の『応仁の乱』がベストセラーになりましたが、いま日本は歴史ブームですね。でも、こういう時に話題になる「歴史」は、その多くが「体制の中の歴史」です。

世界的なシャンソン歌手のシャルル・アズナブールが、オスマン帝国(現トルコ)によるアルメニア人の「虐殺」問題を提起し、話題になったことがありました。

ナチス=ドイツによるアウシュビッツでの大量虐殺と規模はそれほど変わらない。にも関わらず、歴史上からほとんどないことのようになっている、と。

アジアとヨーロッパの間に位置するアルメニアは、4世紀初頭に世界で初めてキリスト教を国教化したことで知られる。長年、近隣の大国からの侵入、支配を受けたため、他国に居住する移民も多い。

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