五木寛之「孤独死は恥ずかしいことではない」 日本人よ、根無し草のように孤独であれ
――え、寝る姿勢ですか?
「横向きの横臥がおすすめ」と伝えるテレビがあれば、「上を向いて真っ直ぐ、大の字で寝るべきだ」と専門医は言う。「いやいや、うつ伏せで寝るのが良い」という医師もいる。
それぞれに権威のある人が意見を述べ、大きなメディアが相反する情報を堂々と流している。私たちはどう受け取っていいのやら、何を選択すればいいのか混乱してしまう。
つまり、良い生き方は「情報のリテラシー」と「自分なりの価値観」で選んでいくしかないわけです。最終的には、自分の価値観や直感が大事になってくるのだろうと思います。
「孤独死は恥ずかしいことでも、嫌なことでもない」
――僕も「ひとり」で過ごすことが好きですが、パートナーがいるわけではない。最終的には孤独のうちに死ぬのかなと、ぼんやり考えることがあります。
孤独死は恥ずかしいことでも、嫌なことでもないと思うんです。
その代わり、周りに迷惑かけないような準備が必要です。孤独死の事前教育とでもいうのでしょうか。ひとりで生きるには、全ての責任が自分に来るわけですね。しかるべき資金も残しておかなきゃいけない。
例えば地方では、新聞配達の人が、ポストに新聞が溜まっているのを発見したら、関係各所に連絡するようなシステムがあったりします。
「飛ぶ鳥、あとを濁さず」「去るもの、あとを汚さず」の心構え。ひとりで生きて、ひとりで死ぬシステム、いうなれば「孤独死の文化」がまだできていない。
そういう常識やカルチャーができれば、周りも穏やかに(孤独死を)認めてくれる流れになると思います。
――五木さんは「孤独死をひとつのスタイルに磨き上げたい」と書かれていますね。
僕は昔、「行き倒れの思想」というのを説きました。できるだけ野生の動物のように生きて、群れから離れて、姿を見せないかたちで亡くなるのが望ましい… …という考え方です。
これからの時代は、「死に方」というか「死ぬ作法」が大事だと思います。
かつて「サンカ」と呼ばれた(日本の)移動民の人たちは、集団移動の際について行けなくなったら、置いていってもらって、その地で死ぬことにしていたようです。
人が産まれるときは、病院とか、助産師さんの手伝いが必要です。それなら、人が死を迎えるときの準備をする仕事も必要かもしれない。
精神的な意味でのケアをする牧師さんやお坊さんのような人達だけではなく、フィジカルな面で面倒を見てくださる方がいるとありがたい。