五木寛之「孤独死は恥ずかしいことではない」

日本人よ、根無し草のように孤独であれ

第1次世界大戦中の1915年、オスマン帝国は領内に多数居住していたアルメニア人を「敵国ロシアに内通している」という理由で強制移住させたり、殺害するなどした。

犠牲者数についてアルメニア政府は「150万人」と主張。一方、トルコ側は「30万~50万人程度」「戦時下の悲劇だ」とし、組織的な虐殺はなかったと主張している。

歴史の闇の中に飲み込まれた人々を振り返ることは、これからの不安定な時代を生きる上で大切です。

国や社会に依存して生きていけるかと考えたとき、依存できる間はするけども、自分で自分のケアをするという考えは持つべきです。

――とはいえ、歴史のダイナミズムの中では、ひとりの人間はあまりに無力です。

それは経済危機でも同じです。ソ連が崩壊し、ロシアに移り変わる頃、僕はモスクワに滞在したことがありました。

そこで見たのは、高齢者がなす術もない有様で放り出され、国営市場の冷蔵庫は空っぽで何もない。年金は止まっている。

そんな中でも機能していたのは、ブラックマーケット(闇市)でした。人々は物々交換で、その日の糧を支えていた。

そういう現実を見ると、なにも混乱は戦後だけではない。「こういうことは、いつだってあり得る」と思いました。戦後に少年期を経た人間にとってはトラウマです。

――戦後73年。日本では社会体制を変えるほどの危機はありませんでした。今の安定した状態がずっと続いてほしい。そんな感覚が、昭和の頃からあるような気がします。

(写真:奥西淳二)

たしかに、そうですね。敗戦前より前の大きな動きとなると「明治維新」でしょうか。今年は「明治150年」と言われています。

「明治」は本当に大きな変動期でした。幕府に仕えた武士階級の人々が禄を失い、戊辰戦争で「賊軍」にされた。階級制度が完全に壊れ、大きな地殻変動があった。

あれも一種の「戦後」。もっと言えば「革命」だったわけです。

これからの時代は、自分たちがそういう変革を起こす動きがあるかどうか。それよりは、外圧や事故、災害などで、同じような「変革」があるかもしれないとは考えます。

「和して同ぜず」+「楕円の思想」がヒントになる

――五木さんはよく「人は孤独であれ」という話をされています。どういうことでしょうか。

誤解されている方が多いのですが、「孤独」と「孤立」は違うんです。

「孤独」は「自主独立」すること。つまり「集団内孤独」です。昔の言葉で言うなら「和して同ぜず」ですね。

サークルに入るなり、ボランティアをやってみるなり、スポーツクラブに入るなり、ツアー旅行に行くなり。「みんな」と一緒に何かをやっていきながらも、自分は失わないということです。

例えば合唱(コーラス)だと、各パートはしっかり自分のパート守りつつ、他のパートとともにハーモニーをつくっていく。みんなは同じように歌ったら、合唱ではなく斉唱になってしまう。

だから、2人でいても「孤独」ということもあり得ます。仲のいいパートナーであっても、それぞれが相手の中に自分を溶け込ませるのではなく、違う人格同士が互いを尊重して和する。これが僕の言う「孤独論」です。

みんなと一緒にやっていくけども、同じにはならない。ソプラノがいればバリトンもいて、各々の個性や思想を活かしていくのが大事です。

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