チャーチルを「名宰相」たらしめた究極の選択 アカデミー賞受賞作でも描かれた緊迫の1日
これからお話しするのは1940年5月28日の午後のことだ。
当時、イギリスは深刻な危機であった。そのため、この日までの3日間ほぼ終日にわたり閣僚たちが顔を合わせていた。5月26日から始まったこの9回目の閣議でも、内閣そして世界が直面していた、国の存亡にかかわる問題への答えを見つけ出すことができないままでいた。
ヒトラーと取引すべきか、戦うべきか
場所はかつてイギリス下院の中に存在していた一室。主要な出席者は、全部で7人、イギリスの戦時内閣のメンバーだ。
議長は首相のウィンストン・チャーチル。その隣にはネヴィル・チェンバレン。襟の高いシャツを着て、頑固な、歯ブラシのような口ひげをたくわえたこの元首相は、チャーチルに失脚させられた男でもある。その評価が正しいか否かは別として、チェンバレンはヒトラーの脅しを致命的に過小評価し、宥和策によりイギリスを窮地に追い込んだ人物と見なされていた。
ハリファックス卿もいた。背が高くやせこけた外相で、生まれつき障害のある左手を黒い手袋で隠していた。チャーチルと折り合いが悪かった自由党の党首、アーチボルド・シンクレアもいた。チャーチルが最も激しく舌戦を繰り広げた労働党からはクレメント・アトリーとアーサー・グリーンウッドが代表としてその場にいた。そして官房長官のエドワード・ブリッジズが議事録を取っていた。
閣議に提出された問いは非常に単純なものだった。
イギリスは戦うべきか? 敗色がますます濃くなるなか、若い英軍の兵士たちを死なせるのは妥当といえるか? イギリスはヒトラーと何らかの取引をすべきか? そうすれば、何百人、何千人もの人命を救えるかもしれない。
ヒトラーと取引をした結果、イギリスが戦争から抜けることで戦争自体が実質的に終了するとすれば、世界中で何百万人もの命を救うことになるのではないか?
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