でも、あらゆる人が、あらゆる面でマジョリティになるという状況は、どんな制度を作ったところで、実現し得ないのでは? だったら「みんながふつうの社会」を目指すよりも、「ふつうじゃなくても大丈夫な社会、マイノリティでも居心地が悪くない社会」を目指すほうが現実的だし、汎用性が高いのでは?と思うのです。
これは一見、将也さんの考えとは反対に見えるかもしれません。でもたぶん、目指すところはほとんど変わらない気がします。将也さんも「ふつうじゃない」のを居心地悪く感じる社会だから、「ふつうになりたい」と思うのでしょう。
自分が結婚するときは同姓でも別姓でもOK
将也さんのお母さんは、選択的夫婦別姓の実現を目指して、長年活動しています。そのため将也さんは、幼い頃からその様子を見て育ってきました。
ですが将也さん自身は、自分の苗字にあまりこだわりがありません。だからいつか結婚するときは「相手の苗字に変えてもいいし、松浦のままでもいいし、そのときに制度が整っていれば、別姓でもいい」と考えています。
「もし相手が『ダンナさんの苗字を名乗りたい』って思うならその考えを尊重しますし、変えたくないっていうなら、僕が変えるのにも抵抗はないですね。画数がすごく多いとか、カッコ悪い苗字だったらちょっと嫌なので、そのときは別姓が選べるといいですけれど(笑)」
自分の母親はなぜ、そこまで別姓であることにこだわったのか? 「百瀬」という苗字にどんな思い入れがあるのか? 「正直なところ、僕には想像しきれない」というものの、「でも『こだわるのはおかしい』って言うのはおかしいですよね」と将也さんは言います。
「僕は別に苗字にはこだわらないですけれど、人ってそれぞれこだわりがありますよね。そのこだわりは、封じ込めるよりも、どうやって認めていくかを考えていくほうが、大事じゃないですか。否定するんじゃなくて、どうすれば肯定できるか?という方向で考えるほうがいい。
『こうしたい』って言っている人がいて、その人がそうすることによって、他人に害を及ぼさないのであれば、ほかの人はそれを否定する権利はないですよね。
だからやっぱり、夫婦同姓でも別姓でも選べる制度ができてほしいと思います」
これは苗字に限らず、家族の形でも、なんにでもあてはまる話かもしれません。
あくまで誰にも迷惑がかからないかぎり、どんなことだって「自分がこうしたい」と思うやり方でできたほうがみんな幸せになりますし、人生のパフォーマンスも上がるでしょう。
社会全体がそうやって、いわゆる「多様な価値観」を認めるようになっていくと、ラクになる人や、力を発揮できる人が増えていくのでは?
昨今注目される夫婦同姓・別姓の選択制度は、そんないまの社会の流れの象徴のように思えます。
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