「でも、ショックを受けていたのは数十分です。親がそこで誠実に説明してくれたので。
『お母さんもお父さんも自分の元の苗字を使いたいから、書類上は離婚したけれど、実際にこうして仲良く暮らしているじゃないか』と言われて、確かに仲は悪くないなと。それで安心しました」
「離婚」という単語を耳にしたときは、「もしかして本当は、両親は仲が悪いのか?」と心配になり、本当に別れることまで想像してしまったそうですが、そういう状況ではないことがわかり、不安はすぐに解消されたのだそうです。
「ふつう」でありたいから制度が欲しい
現在、将也さんはW大学法学部の4年生です(取材は2018年1月)。母親の勧めもあり、ゼミは家族法を選択しました。
両親の苗字が異なることで子どもが困ることがあるかと尋ねると、「少なくとも僕の場合はゼロですね」とのこと。でも、「他人から事情を聞かれたときに、説明するのが厄介だな、と感じることはある」と言います。
「中学生の頃は、興味本位で、ちょっと悪意のある質問をしてくるやつもいたので、それは煩わしかったです。『聞いてくるんじゃねえよ』と思っていました。うちの母親は、保護者会とかで『松浦将也の母の、百瀬です』って自己紹介するから、そういう話を家で聞いていたんでしょうね」
事情の説明を求められるのは、「ふつう」ではない家族の宿命でしょうか。
みんな、頭のなかに「ふつうの家族」が色濃くあるため、そうじゃない家族を見ると、なぜそうなのか理由を聞きたくなってしまうのです。その気持ちもわかるのですが、繰り返し聞かれるほうがうんざりするのもよくわかります。
「だから僕は、夫婦別姓を選べる制度が早くできてほしいです。両親の苗字が違っても『ふつう』でありたいから。周りと差がないこと、マジョリティであることのほうが、心が落ち着く性格なので。僕はやっぱり『ふつうであること』に安心するんです」
ふつうでありたい――。ストレートな言葉に、内心ちょっとひるんでしまいました。わたし自身は「ふつうの家族じゃなくてもいい」と考えており、それはこの連載のテーマのひとつでもあります。
わたしも夫婦別姓を選べる制度ができることには賛成ですが、でもそれは夫婦別姓を「ふつう」にするためではなく、旧姓を使い続けたい夫婦にも婚姻という選択肢があっていいと考えるからです。
おそらく、その「ふつうになりたい」という気持ちは、将也さんだけでなく多くの人が、さまざまな物事について、内心抱いているものでしょう。いまの日本社会は、少数派でいるよりもマジョリティでいるほうがずっと居心地がいいことは確かです。
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