救急車の中で出産せざるを得なかった母の声 「北の町に住む母たちを覆う厳しい現実」前編

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転勤族で2年前に紋別に引っ越してきた山田純子さんは、2017年11月に妊娠6カ月の妊婦健診に行ったところ、医師から「私が不在になるので転院を」と言われた。3人目を妊娠中でリスクも低い山田さんは地元・紋別での出産を予定していたので、衝撃を受けた。

産む病院に困るなんて…

「産む病院に困るなんて。そういうことはテレビの中の話かと思っていました」

隣町の、約1時間かかるものの最も近い遠軽厚生病院は分娩件数の制限があるため、紹介状の宛先は自宅から90キロも離れた北見の病院となった。

転勤族で2年前に紋別に引っ越してきた山田純子さん(筆者撮影)

90キロとはどういう距離かというと、たとえば東京の中心部である霞が関から東名に乗って車をそれくらい走らせたとすると、横浜も、鎌倉も超えて、何と小田原まで行ってしまう距離である。

山田さんは夫と北見へ初めての健診へ行ってみたが、往復約5時間の雪道ドライブとたくさんの検査でくたくになってしまった。家を出たのは早朝なのに、帰宅時にはもう、あたりは真っ暗だった。

分娩は出産回数が増えるほど早まる傾向があり、三人目の出産は進みが早い人が多い。山田さんがいいタイミングで入院できるといいのだが。

山田さんが紋別に来て出会った、やはり二児を育てている転勤族のママ友は、三人目が欲しと思いながら「紋別にいる間は産まない」と決めているという。

日本は広く、都市生活者には想像もつかない厳しい自然の中でも女性たちは子どもを産む。産科医の人数が増えるまで、地域の「生の声」に基づいて妊婦本位の細やかな対策がとられる必要がある。通院費用の補助も大切だがそれだけではなく、たとえば母親たちが「途中で生まれてしまわないか不安」「次の子を妊娠する勇気が出ない」といった悩みを助産師などの専門家にじっくり相談できる場も必要ではないか。

そして何よりも自治体、地域一帯の医療、保健、救急に関わる組織が、母親のために、壁を超えて密な関係を築くことが不可欠だ。日ごろの通院に便宜をはかることから一刻を争う緊急事態への対処まで、さまざまな場面の対応を地域全体で考えていってほしい。そうしなければ、産み控え、未受診の出産、若い世帯の流出などさまざまな問題が広がっていくだろう。

それは誰よりも地元の人々がわかっていることでもある。実は私が1月末に帰京するとすぐに、いい知らせがあった。前述の、自宅から90キロ離れた北見へ転院した山田さんが、隣町・遠軽町の病院に再度の転院を希望したところ受け入れられたのだ。そこなら、移動距離は約半分になる。紋別の事情が厳しさを増していることを察しての配慮だった。その後まもなく、北海道新聞、民友新聞紙上で広域紋別病院の産婦人科医常勤医の退職と分娩中止が公表された。

もはや周産期医療は、従来の枠組みでは立ちゆかない。後半は、このオホーツク地域の北部一円の出産を担うべく産科医療の強化政策を進めてきた、遠軽町の奮闘をレポートする。

河合 蘭 出産ジャーナリスト

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かわい らん / Ran Kawai

出産ジャーナリスト。1959年東京都生まれ。カメラマンとして活動後、1986年より出産に関する執筆活動を開始。東京医科歯科大学、聖路加国際大学大学院等の非常勤講師も務める。著書に『未妊―「産む」と決められない』(NHK出版)、『卵子老化の真実』(文春新書)など多数。2016年『出生前診断』(朝日新書)で科学ジャーナリスト賞受賞。

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