男子である匿名希望くんにとって、好きな女子との距離を縮めるためには、同性愛者かもしれないという「誤解」は大きな壁です。だからと言って、「同性愛者ではない!」と強い否定はできません。そのうえ、表面的には差別的な言動が規制されているにもかかわらず、依然として若い世代でも、とりわけ男子の同性愛的な振る舞いには、周囲からの冷ややかな視線がある。出口のない迷路に閉じ込められているようなものですから、モヤモヤしてしまうのは当然です。
アジアの国々に対する構えから発生している問題
さて、今回のモヤモヤには、親がタイ人と日本人であることがかかわっているかもしれないとのことでしたね。テレビと特定してもいいと思いますが、日本ではマスメディアを通じて、タイと言えばムエタイと「オカマ」(さげすみの意味を含む差別語ですが、この表現が実際にされていたのでそのまま使います)という2つのイメージが流布されてきました。
バラエティ番組で、ムエタイ選手がタレントのお尻にキックをするのは罰ゲームの定番になっていますし、かつてはパリンヤーさんが「オカマキックボクサー」として「重宝」されていました。男なのに女みたいな振る舞いで、それにもかかわらず強いムエタイ選手であるというギャップから、「笑い」にされていたのです。
当時のパリンヤーさんは体は男性だけど、心は女性です。選手を引退後は性適合手術を受け、心だけではなく体も女性になっています。彼女の半生はタイで映画化もされました。
「オカマキックボクサー」という扱いが、本人にとって愉快なものではなかったことは容易に想像がつきます。そもそも、ムエタイはキックボクシングではないので、この点からもタイに対する無理解がうかがえます。最近でも、昨秋のプミポン前国王の葬儀はタイでは国民的な関心を集める大きな出来事でしたが、日本で大きく報道されることはありませんでした。
非常に残念なことですが、日本においてタイに対する関心は高くなく、そのため、ムエタイと「オカマ」というイメージだけが人々の印象に残ってしまっています。したがって、この点についても、匿名希望くんの自意識過剰などではありません。日本のタイを含めたアジアの国々に対する構えから発生している問題だと言えます。
これを機会に匿名希望くんが考えてみる必要があるのは、好きな女子と付き合いたい気持ちとAくんと仲良くしたい気持ちの間に、それほど大きな差があるのかどうかということです。もし、意中の女子がほかの男子とイチャイチャしていたら嫌ですよね。同じように、Aくんが自分以外の男子とイチャイチャしていても悲しくなりませんか。
異性愛/同性愛という区分は、異性愛を「普通」とする社会が要求するもので、実際に他者への好意をそのような基準で明確に隔てることはできません。もし、この境界線に生物学的な背景があるならば、日本とタイで同性愛者を含むLGBTの方々に対する認識が違うことはありえないはずです。言葉を変えれば、どのような社会で暮らしているかによって、同じ問題についての人々の反応が異なるということです。
自分の抱えているモヤモヤを、社会の問題につなげて考えられるような社会学的想像力を身に付けましょう。もちろん、高校生にとっては友情や恋愛も大切です。ぜひ有意義な高校生活を送ってください。
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