まずは落ち着いてください。
性別をめぐる悩みや葛藤は、本人の意識の問題とされがちです。たとえば、#MeTooをきっかけとして、女性がいかに性的な被害を公にできないまま抱えてきたかが、あらためてクローズアップされました。
しかし、こうした動きに対して被害を訴える女性の考えすぎではないか、過剰反応ではないかといったリアクションがあります。女性差別の歴史やそれを生み出す社会構造への理解を欠いた主張なのですが、残念ながら一定の支持を得てしまっている状況です。とりわけ子どもの頃からスマホと一緒に育った若い世代では、ネットを中心としたこうした風潮も気になり、自分の意識の問題だと思ってしまうのかもしれませんね。
男性が男性だからこそ抱えてしまう悩みや葛藤、つまり、自分の性別が原因となって抱えるモヤモヤを、適切な言葉に置き換えて問題解決に導くことは男性学の重要な使命です。「自分が気にしなければ」などと思う必要はありません。一緒に考えてみましょう。
異性愛が「普通」であるという「ルール」は変わってない
前回(「男同士のイチャイチャ」はなぜ"危険"なのか)も書きましたが、現代の日本社会には、男性は同性愛者と誤解されるような言動を慎まなければならないという(暗黙の)ルールがあります。そのため、男同士でイチャイチャ、ベタベタすると同性愛者なのではないかとの疑いをかけられます。ただし、そうした行動をしないからといって、異性愛者であることの証明としては十分ではないので、女性への性的な関心を示したり、同性愛男性への嫌悪を表明したりする必要があるわけです。
中高年の世代と比較して、若い世代では同性愛差別はダメなことだという理解が広がっています。実際、匿名希望くんも、「私たちは同性愛者ではないのですが、別に同性愛そのものを否定しているわけではありません」と書いていました。仲良しのAくんとの関係を「同性愛じゃない!」と強く否定することは、同性愛差別につながると理解できているからこそ、自然にそのような言葉が出てくるのです。同性愛を「おかしい」とみなしているかのような発言をすれば、きっとクラスメートも匿名希望くんは同性愛者を差別するなんてひどいヤツだなと思うでしょう。好きな女の子にも嫌われてしまう可能性もあります。
しかし、その一方で、今の高校生の間でも、異性愛が「普通」であり、同性愛は「おかしい」というルール自体に大幅な変更があったわけではありません。
先日のバレンタインデーは盛り上がりましたか?(ひょっとすると好きな女子からチョコレートをもらえて、すでに悩みが解消しているかもれませんね)。日本においてバレンタインデーは、女子から男子にチョコレートを渡すことで、自分の好意を伝える日になっています。確かに、告白は男子から女子にするものという通常の告白パターンが逆転していますが、男子は女子を、女子は男子を好きになるという前提は同じです。恋愛的な感情は、異性に向けられるものだという常識が根強く残っていることがわかります。
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