オリンピックが浮き彫りにする「表彰」の魔力 社員のモチベーションアップにこう応用せよ

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刑事事件はもとより、ドーピングも発覚すると自分の名誉と信頼が失墜するだけでなく、選手生命も事実上絶たれてしまう。それだけのリスクを冒してまで、オリンピックに出たい、メダルがほしい理由は何だろうか?

そこにあるのは「元オリンピック選手」「メダリスト」というシンボルの魔力、そして背後にある承認欲求、承認願望の想像を絶する力である。

とりわけ注目したいのは、メダルという「賞」がもつ魅力だ。選手たちは「メダルを獲るのと獲らないのとでは天と地ほど違う」と言うし、一流選手はしばしば「金メダル以外はみんな一緒だ」と口にする。その異常なまでの執着が、ときには道を誤らせてしまうのである。

どの世界でも「賞」が最大の目標

ただ、加熱しすぎた弊害だけをとらえて「賞」へのこだわりそのものを否定し、「オリンピックは参加することに意義がある」という建前論だけを唱えるのはどうかと思う。

そもそも賞を求め、賞にこだわるのはほかのスポーツ選手も同じだ。野球や相撲にしても、サッカーやゴルフにしても、たいていのスポーツは優勝すること、チャンピオンになることを最終目標にしている。あるいは個人として、MVPや首位打者、得点王といったタイトルを目指している。それを目標にギリギリまで自分を追い込み、血のにじむような努力を重ねる。

スポーツ選手に限らない。最先端で活躍する科学者にとって、最高の夢はノーベル賞だ。「ノーベル賞は結果としてもらえるものであり、狙って獲るものではない」といわれてきた。しかし、実際はノーベル賞に照準を合わせた計画的な努力によって獲得されるケースが多いことが明らかにされている。また小説家は芥川賞や直木賞、映画監督や俳優はアカデミー賞を夢見ながら創作に励む。いずれにしても賞こそが最高の夢、目標なのである。

なぜ、「賞」はそれほど人を引きつけるのか?

人間には承認欲求がある。心理学者のA・マズローが「尊敬・自尊の欲求」とも呼ぶように、他人から尊敬されたい、自分を価値ある存在だと認めたい、という欲求である。名誉欲や自己顕示欲もこれに含まれる。

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