私は息子が死んだ理由を教えてほしいだけだ 19遺族が争う大川小訴訟の控訴審を控えて
佐藤:なぜたった1校なのか、というのが問題なんです。
堀:東日本大震災の津波で学校で預かっていた子どもたちが亡くなったケースというのは、大川小学校だけなんですよね。他の学校では、親御さんが迎えに来る、先生が誘導するなどで、学校管理下での子どもの死者は出なかった。なぜ大川小学校だけだったのかと。マニュアルの問題だったり、先生が適切に動けなかったり、校長の指導力の問題だったりと、色々指摘されましたよね。
佐藤:そうですね。私なりにこの7年考え、資質のない人が校長先生になったが故の、尊い子どもたちと先生方の命が奪われた事故だと考えるようになりました。
堀:校長は、災害時の児童引き渡しに関して事前に保護者と手段を確認するための「児童カード」を作成していなかった。校長は震災当時、その場にもいなかったんですよね。「学校の責任の範囲内で子どもが命を落としているのに誰もその責任を認めようとしない」という行政側の対応に対しての憤りは、大変強いものが伝わってきました。
「命をもう一度、国民みんなで考えていきたい」
堀:記者会見の中で、当時6年生だった長男の大輔さんを亡くされた原告団団長の今野浩行さんに、僕が「今回の裁判を通して何を訴えていきたいか、風化が進む中で何を皆さんに考えてもらいたいか」という質問した際、こうおっしゃっていましたね。
「『大川小学校の悲劇を繰り返さない』とか、『二度とこのようなことが起きないように』という言葉をよく使うんですけど、本音を言えば、人を蹴散らせてでも息子は助かってほしかったんです。ただ、もう助かるという状況はならない。もう死んでしまったから。後戻りはできないわけですよね。そうした時に次に何を考えるかというと、『せめて同じ過ちを起こしてほしくない』、そう考えるしかないんですよ。それが本心かというと、違うんですよね。前に述べたことが本心なんです。助かってほしかったんです。うちの子どもは学校防災を教訓にするために産んで育てたわけじゃないんです。宝として育ててきた子どもに、やっぱり助かってほしかった。本人は夢もあったし。実際は助からずに亡くなってしまった。だから『教訓』という言葉を使うしかないんです」と。
佐藤さんはなぜこの裁判を闘う必要があると感じたのか、改めて教えてください。
佐藤:まずは、「なぜ息子が死ななくてはいけなかったのか」、その1点だけだったんです。裁判が進むにつれて、いつからかわからないのですが、現在全国で起きている子どもの命に対する教育界の向き合い方が、大川小学校に対しての石巻市、宮城県の向き合い方とまったく同じ構図だなと感じるようになりました。
堀:いじめの問題や、親御さんが「なぜ?」と思うような学校での様々な事象に対してですよね。
佐藤:そうです。それを変えていくのが私たちの使命かなと、いつの時からか思うようになりました。義務教育の学校管理下で74人も亡くなったにもかかわらず、教育現場では反省もない。それではいけないと思うんですよ。今変わらないといつ変わるのという話なんです。