私は息子が死んだ理由を教えてほしいだけだ 19遺族が争う大川小訴訟の控訴審を控えて
堀:そうですね。一番背中を見せなければならない学校現場が、こういう姿を見せてしまうというのは本当にがっかりですからね。
佐藤:残念ですね。特に、教育者というのは信頼されて当たり前の職業。震災前の先生たちを見る私の気持ちと、震災後に教員と言われている人たちを見る目線が、まるっきり今は違うんですよ。
堀:改めて最後に一言。地震が発生し津波が襲来してからまもなく7年です。その後も様々な震災も発生し、東日本大震災の記憶というのが薄れていく、いわゆる風化と直面する中、改めて佐藤さんたちは何をこれから発信していくべきだと思われますか?
佐藤:一番発信したいのはやっぱり、よく子どもは国の宝だと言いますが、本当に子どもは国の宝なんですよ。その宝物が失われるという現実が至る所で起きています。やはり、命をもう一度、国民みんなで考えていきたい。未来ある夢もある子どもたちが失われるような教育社会を、私は変えていきたいなと思います。
堀:そうですね。実は大川小学校では、「大川伝承の会」の語り部の皆さんの活動が続いているんですよね。
佐藤:月1回行っています。
堀:ぜひ皆さん、ご自身の目で現場を訪ねてお話を伺ってみてください。佐藤さん、引き続きよろしくお願い致します。ありがとうございました。
佐藤:ありがとうございました。
堀:判決は4月26日です。引き続き、この裁判の行方を追って伝えていきたいと思います。
涙の陳述書
最後に、法廷を涙に包んだ、ご遺族の鈴木実穂さんからの陳述を一部紹介します。鈴木さんは、当時12歳だった長男堅登君を亡くし、当時9歳だった長女巴那さんはいまだに行方がわかっていません。
陳 述 書
平成30年1月23日
鈴木 実穂
子供を失い、家を失い、失望の中、意を決して提訴に踏み切った2014年3月。あれから3年10ヶ月、本日、結審を迎え、走馬灯のように色々なことが思い出され、大変感慨深いものがあります。一審で勝訴の判決をいただくことができましたが、石巻市、宮城県の即日に近い控訴により、私達は安堵する間もなく、また失意のどん底に突き落とされました。一審判決の内容は決して、私達遺族にとりましても満足できるものではありませんでしたが「裏山への避難は可能だった」「教員らは津波襲来を予見できた」「不適当な避難場所を選定した」この判決は、私達が主張してきたとおり、認められて当然の内容であります。石巻市、宮城県がいかなる理由付けをしてきても、この判決は覆されることはなく揺ぎ無いものだと確信しております。控訴されたことには大変憤りを感じましたが、私個人の思いとしましては、高裁で「事前の学校防災対応」について、改めて審議できたことは、大変意義のあるものだったと実感しています。