「スポーツ実績だけで大学入学」の大きな弊害 「机を捨てた」大学生の厳しすぎる現実とは?
2017年11月30日、文化放送 「The News Masters TOKYO」というラジオ番組で語られていた話に、筆者は釘付けになった。出演していたのは、前横浜DeNAベイスターズ社長の池田純氏だ。
IT実業家として成功した池田氏は、30代半ばで野球球団の社長になったとき、選手たちに原則3年間の寮生活を義務付けたという。大学や高校を卒業してプロ入りした選手たちの意識は一般社会の常識と大きな隔たりがあり、しつけのため、そして社会のイロハを教える場が必要と感じたからだそうだ。
勉強をしなくても進学できるルートの存在
さらに、池田氏は「机を捨てていいから一日中サッカーなり野球なりをしろ」という考え方をよしとする姿勢が、日本のプロスポーツを目指す人々の一部にあることも指摘していた。もちろん、まじめに勉学に取り組む運動部の学生もいるが、池田氏の言われるところの「机を捨てて」一日中、特定のスポーツに専念する者が、アマチュアの学生として教育困難大学の多様な学部に大勢存在する。
義務教育の段階から、勉強か、今やっているスポーツかの二者択一を行い、スポーツを選んで勉強をまったくさせようとしない保護者や、しようとしない子どもは一定数存在する。幼い頃から親が好きなスポーツを子どもに習わせ、幼児の大会やジュニア大会で入賞でもすると「うちの子は、○○の方向に行かせるから」と、暗に勉強を邪魔者のように宣言する保護者に悩まされている教員は少なくない。
このような保護者を後押しするのが、勉強をしなくても学校の部活動で実績を上げれば進学できるというルートの存在だ。このルートを揺るぎないものにしたのは、知名度を上げるためにスポーツを利用した大学であり、高校である。
大学とスポーツの関係を研究している早稲田大学の小野雄大助手の論によれば、大学入試の際、スポーツに秀でた者に特別の配慮をすることは1947年の新制大学の設置直後から、すでに一部の大学で行われていたという(小野雄大、友添秀則、根本想「わが国における大学のスポーツ推薦入学試験制度の形成過程に関する研究」 体育学研究62(2)2017)。
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