「スポーツ実績だけで大学入学」の大きな弊害 「机を捨てた」大学生の厳しすぎる現実とは?

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一方で、この動きは特定のスポーツで注目を浴びるチャンスを得たいと考える中学生にはありがたいものでもある。自宅から遠いスポーツ強豪校に「留学」して活躍する高校生が、こうして生まれる。

スポーツを介して大学と高校に特別な関係ができれば、当然、中学校にも影響が及ぶ。高校の部活動顧問は中学校の部活動に高い関心を持つようになり、部活動の実績が高校入学に有利に働くようになる。公立高校入試においても、中学校の部活動実績が大きくプラス評価されているのは、全国共通の傾向だ。現在、中学校の部活動が生徒・教員にとって負担が大きいと問題視されているが、過重な負担がかかるようになったのも、高校進学、その先の大学進学との関係も一因となっていると筆者は感じる。

周囲がスポーツしかやれない境遇に追い込んでいる

スポーツが好きで、それに打ち込めることはすばらしいことではある。しかし、問題は、「机を捨てて」いることだ。スポーツをやっていることが勉強をやらない言い逃れになっており、またスポーツしかやれない境遇に周囲が追い込んでいるという面もあるのだ。

大学まで1つの競技を続けてきた学生たちは、「できればプロになりたい」と考え、彼らなりに頑張ってきた。しかし、そこに至るのはごく一部の選りすぐりの人であること、そして、自分の力の限界も十分にわかっている。それでも、彼らはその競技をやることしか知らないので続けるしかない。大学の運動部学生を多く見ている教員は、ほとんどの学生の目に「あきらめ」を感じると語る。自分の限界を感じても、ほかの道を探す時間的余裕もなく、必要なことを学ぶ方法もわからず、彼らは耐えているように見えるというのだ。

大学の講義は、練習の疲れと内容への関心のなさから、眠気と戦い、そして多くの場合は眠気に負ける時間となる。そんな彼らにとって、各大学でこの時期に行われている試験は大きな試練だ。そして、最後の手段として、ほとんど解答が書けない答案用紙に「○○部です。よろしくお願いします」と、高校の時から書きなれている言葉を書くことになるのである。

朝比奈 なを 教育ジャーナリスト

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あさひな なを / Nao Asahina

筑波大学大学院教育研究科修了。教育学修士。公立高校の地歴・公民科教諭として約20年間勤務し、教科指導、進路指導、高大接続を研究テーマとする。早期退職後、大学非常勤講師、公立教育センターでの教育相談、高校生・保護者対象の講演等幅広い教育活動に従事。おもな著書に『置き去りにされた高校生たち』(学事出版)、『ルポ教育困難校』『教員という仕事』(ともに朝日新書)などがある。

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