豊臣秀吉の「接待」は、驚くほどスゴかった 「コスパ抜群!ハイリターン」その手法は?
末端の部下の給料をも気にかけた秀吉
2017年10月、豊臣秀吉直筆の手紙が新たに熊本県で発見されました。書かれていた内容は、「部下に俸禄(給料)を与えよ」というものでした。
手紙が書かれたのは、本能寺の変が起こる3カ月前の天正10(1582)年3月のこと。秀吉は備中高松城(岡山市)攻めに備えて、姫路城に在番していた時期に当たります。秀吉が家臣の小出秀政に宛てたこの手紙では、「ありけんハ(有○玄蕃?)」の俸禄として「五人扶持(ごにんぶち)」を与えるよう指示しています。
五人扶持といえば、5人を1年間養える程度の待遇で、当時の武士の身分としてはかなり低いものです。
こうした末端の地位にある部下に対しても、その暮らしについてつねに気を配っている秀吉の、まさに「人たらし」な一面が、この手紙からもうかがえます。
さて、このように敵味方を問わず人の心をつかむことに長けた秀吉ですが、その力は彼の行った「接待」、特に賓客を遇する「接遇」の数々においても存分に発揮されました。
今回は、秀吉の「接待」「接遇」をテーマに、その「本当のスゴさ」について解説します。
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