豊臣秀吉の「接待」は、驚くほどスゴかった 「コスパ抜群!ハイリターン」その手法は?
一見、費用の回収が不可能にみえるような「接待」「接遇」も、秀吉の手にかかれば十分なハイリターンが戻ってきます。
天下統一に向けた先行投資
天正16(1588)年4月、秀吉は京都に造営した公邸「聚楽第」に後陽成天皇を招きました。
天皇が臣下(武士)の屋敷へ行幸するのは、なんと151年ぶりの出来事でした。初日の豪華絢爛な大行列をはじめ、計5日間にわたる饗宴や儀式では、これまでの前例を凌駕する贅が尽くされました。
この間、秀吉は手始めに銀5530両余と米800石を天皇に進上すると、そのほかにも黄金、刀、衣装、馬などを饗宴の合間にその都度、献上し続け、最終的に天皇が御所に還幸するときの「お土産」が、なんと特大衣装ケース50箱分にもなったほどでした。
この行幸では、同席した公家衆や諸大名にも「お土産」がもれなく配られており、秀吉の財力に誰もが圧倒されました。
一方で、秀吉はこの機会を利用し、饗応とは別に、徳川家康ら諸大名を「天皇の目前」で自分の命令に服するよう誓わせるなど、天皇の権威を後ろ盾に、諸大名へ政権の正統性もアピールしました。
その結果、ついに秀吉は「天下人」として内外に広く認知され、彼に屈服する大名がその後相次ぐことになるのです。
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