日本人は江戸時代にも「肉」を愛食していた 肉食を忌避していたとの通説があるが…

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現在の日本の養豚場の様子。豚は管理されて育てられている(写真:著者撮影)
2018年NKH大河ドラマは「西郷どん」だ。激動の幕末を、勇気と行動力で駆け抜け、明治維新を成し遂げた西郷隆盛の生涯を描くという。幕末といえば江戸時代。その江戸時代には、広く仏教信仰が浸透していた影響で、ほとんどの日本人は肉食を忌避していたとされている。
輪廻転生の思想が広まり、「この牛はお前の親の生まれ変わりかもしれない」などと真顔で説かれれば、たしかに、肉などおいそれとは食べられなくなる。しかし、そんな時代背景のなかにあっても、実は一部の日本人は、江戸時代から肉を愛食していた。そんな肉をめぐる知られざる幕末のドラマを『侵略する豚』(小学館)から紹介する。

最後の将軍・徳川慶喜。じつはこの慶喜、大の豚肉好きで、「豚一殿」(豚が好きな一橋の殿様)と揶揄されるほどだった。

当時の薩摩藩では、統治していた琉球文化の影響もあって、豚肉がよく食べられていたという。そんな事情から、慶喜は薩摩藩に対して、たびたび豚肉の「献上」を要求していたのだ。

元治元年(1864年)薩摩藩の家老・小松帯刀は、慶喜から豚をねだられて、ほとほと困り果てているという胸の内を、書簡にしたためている。

「追伸を申し上げます。一ツ橋公(慶喜)より豚肉を度々望まれることがあって、私の持ち合いのものを差し上げておきましたが、1度ならず3度目まで望まれて、すべてを差し上げてしまいました。ところが、またもやお使いを寄こされて豚肉を所望してこられました。しかし、もう私の手元にはないので、キッパリとお断り申し上げるしかありません。それにしても、大名というのは聞き分けがなく、大変困ったものです」

当時の小松帯刀は28歳。若き家老にしつこく肉をねだる姿は、現代に残されている徳川慶喜の凜とした佇まいの写真からは想像できない人も多いだろう。大名の聞き分けのなさに振り回された帯刀はたまったものではなかったろうが、仏教の思想などどこ吹く風で、ひたすら己の欲に忠実な慶喜が、微笑ましくもある。

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