日本人は江戸時代にも「肉」を愛食していた 肉食を忌避していたとの通説があるが…
徳川慶喜に負けず劣らず肉好きだったのが、慶喜の父・水戸の徳川斉昭だ。実は当時、彦根藩は牛肉の名産地だった。この牛肉を愛食していたのが、斉昭である。
彦根藩の井伊直弼が、安政の大獄で斉昭を弾圧したことは広く知られている。マシュー・ペリーの来航で国論が二分して以来、斉昭と直弼は、はじめから相容れない関係だった。互いの主張を頑として譲らず、ついには血を流すまでの権力闘争に発展してしまうのだ。
しかし、この両者の確執のそもそもの原因は何だったのかと探ってみると、意外な事実にたどりつく。
牛肉が届かなくなってしまった
当時の様子を記録した『水戸藩党争始末』の中には、「老公(斉昭)と大老(直弼)の不和」と題するものがある。そこには、「御老公は牛肉が好きで、毎年寒い時期になると彦根藩から牛肉が送られてくるのを楽しみにしていた。ところが、直弼が家督を継いでから、すっかり送って来なくなった。その理由は、直弼が敬虔な仏教信者であったことから、領内の牛を殺すことを禁じてしまったからだ」とある。
心の奥底から楽しみにしていた牛肉が届かなくなってしまった。そこで斉昭は、直弼に対してたびたび使いを出しては、しつこく肉をねだる(慶喜のしつこさは親譲りか……)。しかし、直弼はそんな斉昭の願いを、頑として聞き入れない。「何と言われても絶対にお断りします!」
このときの様子を伝える書物には、繰り返し肉を送るようお願いしているのに、まったく聞き入れない直弼に対して、斉昭がたいそう不快に思ったと記されている。
「直弼の野郎……!」。斉昭の中で、何かが弾けた。上司の吐いた言葉が部下の耳に伝わり、言葉だけが伝わっていくのは、いつの時代にもある。私怨がいつしか大義と入り乱れ、相手への恨みが膨れていく。
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