関ヶ原の戦い「最も不運な武将」は誰だったか 勝ったのに「残念すぎる末路」は、あの人?

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今回も、よく聞かれる質問に答える形で、解説しましょう。

Q1. 関ヶ原の戦いとは何ですか?

慶長5(1600)年9月15日、美濃国関ヶ原で行われた「日本史上最大級の野戦」です。徳川家康勢(東軍)と石田三成勢(西軍)、合わせて約15万(20万とも)が激突し、家康が勝利しました。

近年では、これまで映画やドラマでおなじみとなっていた名場面や、「定説」と思われていた解釈の多くが、当時の記録には見当たらないことなどから、これらのストーリーは「かなりの部分が後世につくられたフィクション」とする研究が注目されています。

Q2. この戦いでの「不運な武将」といえば、まず誰ですか?

言うまでもなく、「敗北した西軍の大名」です。

「戦の習い」ではあるものの、公儀の側であったはずの石田三成らは首謀者として処刑され、彼らに従った大名(西軍)の多くが改易、減封という厳しい処分を下されて、大きく没落しました。

ただし、なかには異例の復活、躍進を遂げた幸運な西軍大名も存在はします。

部外者ながら減封された豊臣家

Q3. 西軍以外にも「不運な武将」はいますか?

はい。たとえば「豊臣秀頼」です。

関ヶ原の戦いのあと、当時220万石余ともいわれた所領を、家康の命令により65万石にまで減封されました。こうしたことから、豊臣家は戦いの部外者ではなく、むしろ西軍に大きく関与していた可能性も指摘されています。

ただし、秀頼の年齢はこのときまだ8歳でした。

Q4. ちなみに、「勝者(東軍)」にも「不運な武将」はいましたか?

はい。ざっと見ても、幾人かすぐ思い浮かびます。

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