48歳バンドマンの「しぶとすぎる」生き残り術 結成28年、酸いも甘いも噛み分け進んできた

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グレートマエカワさん(写真:村田らむ)

マエカワさんが生まれたのは1969年9月の名古屋市東部(現天白区)。工場勤務の父と家事をしながらパートで働く母の下、木造平屋の住まいで5人一家の末っ子として幼少期を過ごした。裕福ではないものの、とりわけ貧乏でもなく、「ごく普通の家庭」だったという。

人格形成に大きな影響を与えたのは2人の兄だ。5歳上の次兄は近所の子どもたちをリーダーとして仕切っており、その薫陶を受けたマエカワさんは友達のなかでいつも中心的な存在になる小学生に育っていった。「威張ったり腕力で黙らせたりというわけじゃなかったけど、『今日はドッジボールやろう』『今日は野球やろうぜ』っていつも電話を回したりしていましたね」。

そして、7つ上の長兄が大学でベースを弾いていたことが、ベーシスト・グレートマエカワを生むきっかけとなっている。マエカワさんがベースに触れたのは中学2年のとき。学校全体でバンドブームが起きており、友達とバンドを組むためだった。

「1人歌がうまいのがいて、1人ギター持ってて。じゃあ俺は家にベースがあるからベースやると言って組みました。音楽の授業ははっきりいって苦手だったけど、洋楽のヒットチャートはずっと追っていたりして、音楽自体はすごく好きでしたから」

バンド熱は高校に入ってなお高まり、2つのバンドを仕切ってライブをしつつ、毎日音楽談議に花を咲かせた。バンドメンバーたちと大学に入っても音楽を続けたい。そう思って高3の秋から受験勉強に専念し、実家から通える大学に合格したが、ほかのメンバーは全員浪人してしまった。

それでもバンドがやりたい思いは消えない

大学に通いながら1年待つと、メンバーの多くはほかの地域の大学に入学し、残ったのは高校で誘った竹安さんのみだった。計画は実現不可能になったが、それでもバンドがやりたい思いは消えない。ベースとギター。それ以外のパートはいないかと探していたところ、ちょうど鈴木さんと小西さんが自分たちのバンドを解散してフリーになっていた。ひとまずスタジオに入ってセッションしてみようと誘った。

「鈴木と小西はもともと中学からの友達だし、鈴木とは中3のときにことあるごとに電話しとった仲だったので。でも、音楽性が違うのも知っていましたので、バンドを組もうとは思っていなかったですね。2人は直前までパンクっぽいバンドを組んでいて、自分や竹安は1960~1970年代のブルースロックやカントリーロックとかが好き。全然違うけど、初期のローリング・ストーンズとか共通で好きな楽曲もあるから、それをちょっとカバーしてみようよということで集まりました」

そうして音を合わせてみると面白く、来週もう1回、再来週にもう1回と回を重ねるうち、オリジナル曲をセッションで作るようになっていた。するとライブしたくなってくる。その年の8月にやることを決めた。バンド名が必要になったので、フラワーカンパニーズとつけた。マエカワさんが大学で立ち上げたサークル名に、鈴木さんがつけたがった「ズ」を添えた名前だ。

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