アントニオ猪木が米メディアに語った「逸話」 NYT紙が関心示す北朝鮮とのつながり
猪木氏の訪朝は、北朝鮮の核兵器開発への警戒感が、日本や米国でピークに達しているときに行われた。北朝鮮は8月に日本の上空を通過するミサイルを発射、その数日後にはこれまでで最大規模の核実験を行った。
日本政府は猪木氏の今回の訪朝について、ほとんど何もコメントしていない。菅義偉官房長官は猪木氏が日本を出発する前に、「すべての国民に北朝鮮への渡航の自粛を要請している」と繰り返した。安倍晋三首相も、今は北朝鮮政府と公式な話し合いをする時ではないと、何度も示唆した。
日本で猪木氏を批判する人たちは、ロッドマン氏を批判する人たちと同様に、猪木氏は自分を宣伝しているのであり、また北朝鮮にプロパガンダの道具として使われているのだという。
早稲田大学の名誉教授で北朝鮮情勢に詳しい重村智計氏によると、北朝鮮は自国のポジションや言い分を広めるために、猪木氏を利用しようとしているという。
北朝鮮とのつながりは力道山から
猪木氏は本名を猪木寛至といい、子ども時代にブラジルで一時期を過ごした。当時、日本政府が国民に海外で仕事の機会を探すよう勧めており、猪木氏の家族も1957年にブラジルに移住したのだ。
猪木氏はブラジルで、ちょうど同国を訪問していたプロレスラーの力道山氏に見いだされた。それが猪木氏と北朝鮮との初めての接点となった。というのも、力道山氏は日本が占領していた時代の北朝鮮の出身だったからだ。力道山氏は相撲の力士としてスカウトされ、やがてプロレスラーに転向した。
力道山氏の指導の下、猪木氏はプロレスラーとして大きな人気を博した。1976年に東京で行われたモハメド・アリ氏との試合も大々的に宣伝されたが、試合内容は非常につまらないものだった。猪木氏は15ラウンドのあいだ寝転がるようにしてアリ氏の足を蹴り続け、アリ氏は2回しかパンチを浴びせられなかった(結果は引き分けだった)。
1989年、猪木氏は政界に進出。無所属の参議院議員となったが、1998年までレスリングも続けた。その突き出たあごと赤いマフラー、赤いネクタイで、一目で彼とわかる存在になっている。