アントニオ猪木が米メディアに語った「逸話」 NYT紙が関心示す北朝鮮とのつながり
彼の個人的な外交活動は、政界進出後すぐに始まった。1990年にはキューバのフィデル・カストロ前国家評議会議長と面会。2人が握手をし、ともに日本酒を飲み、抱擁する写真が猪木氏の事務所に飾られている。
また同年、猪木氏はイラクを訪問し、第1次湾岸戦争の数カ月前にサダム・フセイン政権によって人質に取られていた41人の日本人の解放交渉に貢献したとされている。
1994年に猪木氏は、プロレス好きだったといわれる金日成主席によって平壌に招かれた。しかし、このときには訪朝は実現しなかった。乗り継ぎのため北京に到着すると、金日成主席が死亡したとの知らせが届いたのだ。
その翌年、猪木氏は再び招かれ、スポーツと平和の祭典と呼ばれる催しでレスリングの試合を行った。その祭典には38万人が訪れたと猪木氏は言う。それ以来、同氏は建国記念日やそれ以外の機会に毎年訪朝してきた。
今回はレセプションで3人の高官に会ったと猪木氏は言う。レセプションでは高麗人参酒を飲み、日本では高級品だが北朝鮮には豊富にあるマツタケを食べた。ガイドが彼を動物園に連れていき、また昨年の訪朝時には建設中だった70階建てのビルの最上階にも行ったという。
疑問視される影響力
猪木氏によると、今回初めて、北朝鮮からの帰国後に外務省の職員がアドバイスを求めてきたという。同省の北東アジア課の広報担当者は、外務省の職員が猪木氏と話をしたことは認めたが、話の内容については明かさなかった。
また猪木氏は、自由民主党の議員数名と、訪朝についてひそかに話をしたと述べた。議員らは、機会があればいずれ訪朝したい様子だったと、猪木氏は言う。
猪木氏は、日本は米国と北朝鮮の仲介役となるべきだと語る。第2次世界大戦中に原爆が投下された唯一の国として、核戦争を二度と起こしてはならないと伝えていくべきだという。
しかし、重村教授は、猪木氏の考え方は日本の指導者にあまり重視されないだろうと述べた。それほど重要な人物ではなく、日本の政府高官や首相に対する影響力も持っていないというのが、重村氏の見方だ。
(執筆:Motoko Rich、翻訳:東方雅美)
© 2017 New York Times News Service
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