鉄拳制裁が野球界から消えない根深い理由 暴力は野球界に依然として生き続けている

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ミスや規律違反に対して下される鉄拳制裁。それは感情に任せた、衝動的な行為に見える。傍から見たら、選手が委縮したり反発したりして、逆効果でしかないように映るだろう。

しかし暴力は、時に選手を覚醒させてきた。暴力によって、プレーに必死さや粘り強さが出てくる。チームに緊張感が生まれ、大舞台にも動じないメンタルが形成されていく。指導者に対して向かっていく気持ちから、チームが結束する。暴力的指導の末に勝利をつかみ取る強豪校が続出した時代は、確実に存在した。それがどこまで過去のものになったのかも、本当のところは明らかになっていない。

暴力の「効能」

使い方によっては「効き目」があるから、なくならない。読者が本書で直面させられるのは、暴力の「効能」だ。鉄拳制裁が効くなんて信じられないと思っている人ほど、発見の多い一冊かもしれない。私など野球部時代を振り返ってみて、もし暴力が「効果的に」用いられていたら、一時的であれチームはもう少し勝っていたかもしれないと、読みながら一瞬考えてしまうほどだった。

断っておくが、暴力にもいろいろなケースがあり、本書でも指導者から選手に向けられるものとは別に、先輩から後輩に対する「しごき」のようなものも多数取り上げられている。それらは単に上級生のストレス発散でしかなかったり、うまい後輩にボジションを奪われた腹いせに行われる陰湿なものだったりして聞くに耐えないものがほとんどだ。

だがそうした例とは異なる次元で、手を下すにしても明確な狙いをもって実行に移していた指導者へのインタビューも収められている。日大山形高校と青森山田高校の監督として、春夏合わせて22回甲子園に出場し(春4回、夏18回)、16勝(春3勝、夏13勝)した経験を持つ、澁谷良弥監督。45年に及ぶ監督生活に昨年終止符を打った東北の名将はこのように語る。

“昔は選手に手をあげたこともありましたし、蹴っ飛ばしたこともありました。それは私だけではなく、当時の他校の監督さんも同じでした。でも、それは感情に任せてやったわけではありません。最初は言葉で優しく諭し、何度もわかるように言って聞かせて、どうしてもできないときには……ということなんです。”

やるにしても、キャプテンや主力選手に限定することで「オレたちのためにキャプテンが……」とチーム全体が引き締まることを狙ったり、皆の前でとことんやったほうがいいタイプと別室に呼んで二人きりで話したほうがいいタイプといった性格によって対応を変えたりと、決して衝動的ではなかった様子が伺える。

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