鉄拳制裁が野球界から消えない根深い理由 暴力は野球界に依然として生き続けている
暴力を受けた経験を語る元選手らへの聞き取りでも、信頼している指導者からの暴力についてはある意味納得していて、むしろ自分を成長させたと語る人も少なくない。
「限られた時間」と「勝利至上主義」
指導者が暴力という「劇薬」を使うことを選ぶ背景にある、日本球界の構造についても掘り下げられている。入部から引退まで最長2年4カ月、チーム単位で考えれば同じメンバーで戦えるのは1年間という「限られた時間」。負けたら終わりのトーナメント制が生み出す「勝利至上主義」。読んでいて何度も思うことだが、書かれているのは野球界だけに通用する話ではない。
限られた期間の中で結果を出せる指導者と選手が評価される。こうした状況の中で結果を出そうと思うと、挑戦するよりミスをなくしていく「負けない野球」を目指す方が理にかなっている。「ミスは許されない」という緊張感を持たせるうえでも、重圧のかかる場面で物怖じしない心を養ううえでも、鉄拳は時に威力を発揮する。
ここで忘れたくないのは、「限られた時間」と「勝利至上主義」は暴力の遠因であると同時に、聴衆にとっての「エンターテインメントとしての野球」の根幹でもあるということだ。やはり甲子園が象徴的だが、一発勝負、3年生は負けたら引退という状況からくるプレッシャーと儚さなくして、観る者はあれほど惹きつけられるだろうか。メディアや私たち観客の反応も、野球界のあり方に確かに影響を与えている。
暴力のない指導で勝つためにはどんな方法があるのか。そして、そもそも球児たちにとって本当に大切なことは何なのか。日本の野球界とまったく正反対と言っていいような考え方で動いているラテンアメリカの国々の野球界のケースなども織り交ぜながら、著者は問いの幅を広げ、答えを探していく。
ドミニカ野球の指導スタイルを取り入れた、関西のとある中学シニアチームの話が興味深かった。勝利数は減ったものの、入部希望者が20人ほどから50人に伸び、大学・社会人まで野球を続ける選手も増えたという。他にも多数の事例をもって日本球界の育成システムを外側から見つめ直す終盤の部分は、ぜひ実際に手に取って確かめてほしいところだ。
暴力なしでも強くなることが可能だと示す著者は、最後に改めてその必要性をきっぱりと否定する。本書を経た後に感じる「暴力反対」の気持ちは、読む前に思っていたよりも深く、地に足の着いたものになっている気がした。
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