在日外国人との結婚を「恥」という残念な人々 いまだに残る偏見の連鎖を断ち切るべきだ

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どんな「違い」も優劣の基準で見る癖の人がいます。しかし、それは視野が狭く、性格の悪い人に多いものです。「それぞれのよさ」を楽しむ余裕やしなやかさこそが大切です。

大のうどん好きである関西人の私は、関東のうどんは長年、濃口しょうゆの汁が真っ黒でカツオ出しも薄そうで、食わず嫌いでした。一方関西に30年住むうどん好きの、関東出身の友人は、薄口しょうゆ出しの関西うどんなど、「食う気がしねえ」と言い、お互いに相手の味覚をけなし合いました。

「違うこと」を楽しむべき

うどん一つでも、関東と関西でこれほどの違いがあるのです。国際結婚ともなればこの比でないと思われますが、ここで問題は、味覚の違いをけなし合った私たちの偏狭さです。

それより前に、日本で生まれ育った同じアジア人同士の結婚は、見方によればある意味、国際結婚と呼ぶのに違和感を感じるときがあります。同じ言語を使い、同じ環境で同じ教育を受け、実質的にはほとんど紙(戸籍)の上の、便宜上の区別でしかないからです。あとは「関東と関西のうどん」のたぐいの違いがあるだけです。

「違う」ことに優劣をつける必要はなく、「違う」から、それぞれのよさから学び、楽しむ機会にすればいいのです。何かにつけて世界一が多いアメリカの強さは、その多様な人種・文化を尊重し、多様性を価値としたことが一因とよくいわれます。

大げさな例ですが、“純血主義”や“鎖国政策”をとったリーダーや国の末路と併せて考えてみてください。個人レベルでも、同じことが言えるはずです。

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