「教育困難大学」に集まる主体性ゼロの学生達 明確な志望動機もないのに進学する理由は?
経済協力開発機構(OECD)による学習到達度調査、いわゆるPISA(Programme for International Student Assessment)に対応できるような学力の必要性が叫ばれ、小・中学校では、主体的、対話的、問題解決型の学力の育成が以前から図られている。その具体的な教育方法として、問題解決を集団で考え、その結果をパワーポイントなどの発表ソフトを使ってプレゼンテーションするといった授業が行われている。
教員が多くの時間や労力を割いて取り組み、また、全員参加を心掛けている。しかし、その集団の中ではリーダーやサブリーダーなどメインメンバーとして活動する子どもと、その指示に従う、あるいは見ているだけの子どもに分かれてしまうことが現実だ。そして、やはりメインメンバーになれず、フォロワーにならざるをえなかった子どもたちが、高校進学の段階で「教育困難校」に集まってくる。
他人の指示に従うことに迷いがない生徒たち
「教育困難校」では授業の成立そのものが難しいことは、筆者は過去の連載記事でこれまで何度も言及してきた。ましてや、主体的、対話的な学習を取り入れた授業ができる高校はごくごく少数だろう。また、不登校生徒や学力に自信のない生徒の受け皿として近年増えつつある、多部制の定時制高校や通信制高校では、学習の遅れを取り戻すための個別指導が中心となるため、主体的な問題解決型の学習はなかなか難しい。
加えて、「教育困難校」や定時制高校から大学進学した生徒は、そもそも、自身が主体的に大学に行きたいと強く願っていない場合が多い。入学当初、生徒の進路目標は漠然としている。家庭の経済状況が厳しいこともあり、多くの保護者は「高卒で就職してくれたら」と本音では思っている。中には、保護者自身が仕事の場で「学歴差別を受けた」と感じており、子どもには大学進学をさせたいと願っている人もいるが、その高校に入った段階で大学進学は難しいだろうとあきらめている場合もある。
成績が平均以上の生徒には、教員も「大学に行ってみたら」と何度も勧める。しかし、「教育困難校」での成績は、本人の能力よりも学校生活の中でどれだけ教員の指示に従えるか、つまり教員や制度に従順であるかという点と大きな相関がある。他人の指示に従うことに迷いがないため、裏を返せば自主的に考えて行動することが非常に苦手な生徒も多い。
こうした生徒は、主体的な思考が求められる高等教育での学びには苦労することが予測される。しかし、進路実績を上げたいがため、生徒の特性や適性をまったく考慮せず、とにかく進学を勧める高校教員もいる。
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