「教育困難大学」に集まる主体性ゼロの学生達 明確な志望動機もないのに進学する理由は?

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当初は、大学進学に半信半疑な生徒と親も、教員に度々勧められることでしだいにその気になる。その段階になると、指定校推薦が来ている大学の中から、その生徒の性格や能力、さらに高校と大学の信頼関係などを考慮して、2〜3の大学を具体的に勧める。並行して、かかる費用を何とか工面するように保護者にさまざまな情報を提供する。奨学金や教育ローンの説明も懇切丁寧に行い、場合によれば必要な書類も一緒に書く。

近年は、指定校推薦受験者や高校の成績が一定以上の受験者に入学金や授業料一部免除など費用面の特典をつける大学が多く、これは志望校決定の大きな決め手となっている。表向きは受験生の金銭的負担を軽減するためという理由になっているが、実は、学生募集に苦労する大学にとってもありがたい方法なのだろう。

高校側は、高校3年時の夏休みのオープンキャンパス参加を大いに勧め、実際に最終的な志望校決定につながる。前回の記事「『教育困難大学』がPR活動に躍起になる事情」に書いたとおり、その際、生徒や保護者へのアピール度が最も高いのが、大学教職員・学生の雰囲気だ。

志望校が決まれば、次に出願書類記入と入試の際の面接の指導が始まる。これも、大学側が想像している以上に、高校教員によってこまやかに行われている。生徒との会話の中で何かしら生徒の希望や考えを引き出し、それを針小棒大に広げて指導していくのならまだいいほうだ。中には、志望動機を徹頭徹尾教員が創作し、生徒はそれを書類に丸写しするだけという場合さえある。面接に関しても、想定質問に対する回答を、志望動機同様に教員主導で用意しておく。

生活の中で培われた「従順さ」があだとなる

「教育困難大学」で入試の面接を担当したことがある大学教員であれば、面接の際に空をにらんで指導されたとおりの文言を必死に思い出しながら質問に答えようとする受験生に接したことがあるだろう。このような生徒は、「君が今言ったことは志望理由書に書いてあったよね。それ以外に大学に入りたい理由を話してみて」などと面接担当者が質問を変えると、何も答えられなくなってしまう。

もともと、コミュニケーション能力に自信がない者も多く、高校で指導された内容、提出された書類の内容から話が一歩も出られない。困惑している受験生を助けたいと思い、「今日は、どんな気持ちでこの会場に来た?」などといった質問をしてもかえって黙りこくってしまう。

これは、単に受験の緊張からではない。そもそも、何事にも主体的に取り組む経験と意識に乏しく、自分の進路でさえも、主体的に決めたものではなく、熱い思いなどないからだ。彼らは、一応「まじめな大学生」にはなれる。しかし、長い学校生活の中で培われた従順さから脱し、自分で考え、決め、動ける主体的な人間になるのは相当難しいことだと思う。このような学生が多く存在する「教育困難大学」では、まず、彼らが学ぶ活動の中心に「自分」を据える意識改革が必要だろう。

朝比奈 なを 教育ジャーナリスト

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あさひな なを / Nao Asahina

筑波大学大学院教育研究科修了。教育学修士。公立高校の地歴・公民科教諭として約20年間勤務し、教科指導、進路指導、高大接続を研究テーマとする。早期退職後、大学非常勤講師、公立教育センターでの教育相談、高校生・保護者対象の講演等幅広い教育活動に従事。おもな著書に『置き去りにされた高校生たち』(学事出版)、『ルポ教育困難校』『教員という仕事』(ともに朝日新書)などがある。

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