ダメ新人から超一流シェフに成った男の半生 世界有数のミシュラン星付き店で輝く日本人
――その舞台の“指揮者”として、シェフ・ド・キュイジーヌ(料理長)を務められています。
米澤氏:ジャン・ジョルジュ氏から受け継いだ独創的な料理を追求する想い、そこに日本人ならではの繊細な味覚や、四季を色濃く反映した、“日本オリジナル”のヌーベル・キュイジーヌ(新しい料理)を、皆さまにお届けしています。さらに「日本ならでは」を楽しんでいただくべく、世界38店舗中東京店だけの、コースの各料理にあった日本酒を提案する“日本酒ペアリング”など、常に新しい取り組みをおこなっています。
「Jean-George」の元に集まった情熱溢れるスタッフたちと触れ合い、料理を通じて「挑戦の喜び」を共感できる今は、とても充実しています。もちろん、楽しいことばかりではありませんが、大変さも含めて「喜び」と感じられるのは、人を笑顔にできる“料理”そのものが大好きだからなんです。そんな料理への想いとともに、私が大切にしてきたのは、常に物事をポジティブに捉えていたいという気持ちです。見習いからこの世界に入り、たくさんの現場で経験を積ませていただきましたが、ただの一度だけ「辞めたい」と思うことがありました。そんな料理人最大のピンチを救ってくれたのも、そうしたポジティブ思考だったんです。
「観察力×ポジティブ思考」で開いた料理人の扉
米澤氏:そうした考え方は母親譲りの部分があるのではと思っています。私が生まれたのは浅草で、いわゆる下町育ちです。父は勤め人ではあったものの、やはり典型的な江戸っ子で頑固タイプ。何かあるとすぐにへそを曲げてしまう父に、献身的に尽くしつつも、どこかさらりと受け流す母。嫌な顔ひとつ見せないその姿が、私の性格にも多分に影響していると思います。
そうした両親の元に育った私ですが、小さい頃から、どこか理屈っぽい子どもだったようです。両親の性格を分析したがるのもそうですが、他者の行動を観察してしまうようなところがあったんです。そこで、ある日、人の気持ちがわかるのならそれに応えていこうと思うようになりました。無理してそうしようと思ったのではなく、応えることで人が喜んでくれるのが嬉しかったんです。そして、それは料理でも同じでした。
私は、家の料理の手伝いをするのも大好きで、納豆をかき混ぜるのと、みそ汁の味噌を溶かすのが自分の担当でした。それも、家族が目の前で喜んでくれるのが嬉しくて、褒めてくれればくれるほど、次から次へと料理を覚えたいと思うようになり、しまいには手伝いの範疇を超えて、料理の品数を増やしていました(笑)。
私は、音楽と体育と家庭科以外、およそ勉強と名の付くものは、からきしダメだったのですが、母は私の性格を見越してか「そんなに料理が好きなら、将来は料理をする人がいいかもね」と、自分がこの道に進むことを後押ししてくれた最初の人でした。私はそれ以降、一度も親から「(学校の)勉強をしなさい」と言われたことはありません(笑)。