臨海副都心、誤算が相次いだ「巨大海上都市」の光と影 "東京ドーム4個分の都有地”が取り残されたまま・・・現在は事業者の公募も行われず

4月30日(水)大量の都有地が取り残された「海上都市」の光と影
5月01日(木)解体された幻の博覧会が遺した遺産(仮)
5月02日(金)未来型情報都市の誤算(仮)
5月07日(水)臨海副都心を描いた設計者の直言(仮)
東京・新橋からゆりかもめに乗り、海沿いを走る列車にしばらく揺られると、レインボーブリッジ手前の埠頭で車両が大きく旋回する。窓に目をやれば、海の向こうに見えてくるのが、目下ガバナンス問題が火を噴いているフジテレビ本社だ。
独特の存在感を放つこの巨大建築物は、世界的建築家の丹下健三氏が設計を手がけたことで知られる。周辺には商業施設や高級ホテルが立地し、白砂青松を備えたお台場海浜公園が手前に広がっている。
週末には、お台場周辺を中心に若者やインバウンドでにぎわいを見せる臨海副都心。来訪者数は年間で4770万人に上る、都内有数の観光スポットだ。都は「新たなランドマーク」(小池百合子都知事)として、2025年度予算に26億円を計上し、高さ150メートル、横幅250メートルに及ぶ世界最大級の噴水をお台場海浜公園に整備する方針を示す。
もはや”副都心”としては成立せず
臨海副都心プロジェクトの前身となる構想が始まったのは1985年。実は今のような“遊興空間”としての姿は、当初から強く意識されたわけではない。
6万人が住み、11万人が働く未来型の情報都市――。もともとの構想はこのようなものだった。
臨海副都心の足元の人口は2万人、就業人口は5.3万人と、いずれも構想の半分を下回る。同じ湾岸エリアでも、豊洲や晴海地域などでタワーマンションや大規模オフィスビルの開発が次々に進む状況を踏まえると、期待された住居やビジネスの担い手としての都市機能は周辺に奪われているといえる。
「もう“副都心”としては成立していないのに、その名前だけ残っている。都の都市作りの方針が変わり、方向感がなくなってしまったのが臨海副都心の問題だ」。1980年代に都からの依頼を受け、臨海副都心の計画や設計に最初期から関わった東京都市大学名誉教授の平本一雄氏(80)は、そう語る。
構想が動き出してからちょうど40年。漂流を続ける海上都市は今、どこにいるのか。そしてこれからどこへ向かうのか。全4回に分けて検証する。
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