超一等地なのに閑散の「汐留シオサイト」…同時期に開業、今もランドマークの「六本木ヒルズ」と何が違う? 明暗を分けた"居処"とは

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六本木ヒルズ
いまや東京のランドマークとしてお馴染みの「六本木ヒルズ」(筆者撮影)
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ここに来るのは、何度目だろうか。「六本木ヒルズ」はいつ来ても楽しい。何度来ても、やっぱりまた来たい――。
さまざまな街にある商業施設を、「どのようにして街を変えたか」という観点からレポートする本連載。今回は「六本木」周辺を歩く。

前編では、「六本木ヒルズ」は再開発の先駆けであり、“金太郎アメ”の再開発が相次いでいるなか立ち返りたい原点であると述べた。

なぜ、数ある再開発のなかで、「六本木ヒルズ」は東京のランドマークであり続けるのだろうか。その理由を、まずは街の歴史から探っていこう。

元々は木造の建物が密集していた

江戸時代、六本木には長府毛利家や上杉家などの大名屋敷が並んでいた。江戸時代末期からは、周辺に各国の公使館ができ、国際色豊かなエリアになっていく。

毛利庭園
現在、「六本木ヒルズ」にある「毛利庭園」は大名屋敷のなごり(筆者撮影)

時がすぎ、1990年代の六本木は、小さな飲食店や小売店、老朽化した住宅が混在していた。木造の建物が密集しており地震に弱い。道路が狭く、大型の消防車が入れないため火災にも弱い。そんな危険が潜んでいた。

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