大奥「最大のスキャンダル」絵島事件は冤罪か 「真の黒幕」はあの人物?「政争」が生んだ悲劇
Q4. そもそも、なぜ絵島は代参後に芝居見物を?
それがごく当たり前に行われていた「習慣」だったからです。
本来であれば、目的である代参が終わればすぐに帰城すべきであり、厳密には帰途の寄り道は認められません。
しかし、閉鎖的な空間で1年中ほぼ休みなく働く「大奥」の女性たちにとって、代参やその随行は貴重な外出の機会であり、芝居見物のほかグルメやショッピングなど「ハメ外し」を兼ねた無二の楽しみとして、当時は内外から暗黙の了解を得ていた行為でした。
処分の対象は1500人
Q5. 結果、絵島はどうなったのですか?
有罪となり、信州高遠藩(長野県伊那市)内藤清枚(きよかず)3万3000石のもとへお預けとなりました。
さらに、彼女の兄にあたる白井勝昌(かつまさ)ら2人が死罪、生島新五郎をはじめ山村座の役者、大奥専属の医師、大奥責任者の旗本ら四十数人が伊豆諸島に流罪になりました。
そのほか、絵島に同行していた大奥年寄の宮地、梅山ら大奥関係者合わせて千数百名が処分を受けました。山村座もほどなく廃業に追い込まれます。
Q6. これらの内容はすべて事実なのですか?
あくまで「公的には」事実とされました。
ただし、事件を詳しく見直してみると不明な点ばかりで、むしろ「ある目的」のためにこれら「大奥スキャンダル」が意図的に仕組まれていたように感じます。
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