大奥「最大のスキャンダル」絵島事件は冤罪か 「真の黒幕」はあの人物?「政争」が生んだ悲劇

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今回も、よく聞かれる質問に答える形で、解説しましょう。

大奥のトップが役者と密通!?

Q1. 絵島事件とは何ですか?

江戸時代中期に起きた、江戸城「大奥」における未曾有の不祥事です。

正徳4(1714)年1月12日、大奥の実質的なトップの地位である「御年寄」の絵島が、7代将軍家継の生母である月光院の代参として、前将軍家宣の墓所である芝の増上寺に派遣されたおり、その行動に「数々の問題」があったとされました。

厳重な取り調べの結果、絵島の流罪をはじめ関係者の多数(1500人とも)が処分されました。

Q2. 絵島とはどんな人物ですか?

江戸城「大奥」で働いていた女性のひとりです。

甲府藩士疋田彦四郎の娘で、旗本白井久俊の養女となり、尾張徳川家を経て甲府徳川家に奉公しました。

甲府藩主家宣が第6代将軍に就任すると彼女も「大奥」へ入り、家宣の側室であり7代将軍家継の生母となる月光院に仕えて、御年寄トップの「大年寄」にまで出世しました。

ちなみに年寄といっても「老人」の意味はなく、「大奥」内では最高位クラスの役職名です。事件当時、絵島の年齢は34歳でした。

Q3. 何が問題となったのですか?

代参の帰途、絵島が従者らを引き連れて芝居見物に興じ、役者を交えて派手な宴会を繰り広げたうえ、帰城の門限を破ったことです。

さらには、絵島がこのとき訪れた芝居小屋「山村座」の役者、生島新五郎と密通していたと暴露されるなど、「大奥」全体の風紀に関する問題にまで発展しました。

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