江戸城・大奥は「どんな女性」が働いてたのか 「最高年収」は、なんと2700万円!
「大奥」と聞いてどんなイメージを抱かれるだろうか。
晴れやかに着飾った美しい女性たちが、将軍の寵愛を独占し、権力をわがものにすべくライバルたちとその地位をめぐって争う、野心と陰謀が渦巻く女の園……。
これらは、近年の歴史ドラマによって植えつけられたものであり、実際の大奥は当時の女性たちにとって「あこがれの職場」として絶大な人気を誇っていた。
「日本史を学び直すための最良の書」として、作家の佐藤優氏の座右の書である「伝説の学習参考書」が、全面改訂を経て『いっきに学び直す日本史 古代・中世・近世 教養編』『いっきに学び直す日本史 近代・現代 実用編』として生まれ変わり、現在、累計20万部のベストセラーになっている。
本記事では、同書の監修を担当し、東邦大学付属東邦中高等学校で長年教鞭をとってきた歴史家の山岸良二氏が、「大奥の真実」を解説する。
「大奥」は働く女性の人気就職先
江戸城本丸御殿の最深部に広がっていた「大奥」。そこには、幕末の最も多いときで約1000人、それ以前の時代でもおおむね600~700人もの女性たちが働いていました。
じつはこの「大奥」での勤務は、当時の就職先として女性たちが「最もあこがれる職場」でした。
なんといっても、身分的には「現在の国家公務員に匹敵する超安定の職場」です。給料も破格の金額が支払われます。さらに、「礼儀作法や各種教養を、働きながら身に付けられる職場」でもありました。
「就職資格」も、武家だけに限られていたわけではありません。「コネ」さえあれば、下位の役職には一般の町人や農民でも就職が可能でした。
そんな「大奥」では、どんな女性たちが、日々どんな生活を送っていたのでしょうか。そして、なぜ「大奥」奉公は女性たちに人気だったのでしょう。
今回は「就職先としての大奥」をテーマに、その実態について解説します。
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