江戸城・大奥は「どんな女性」が働いてたのか 「最高年収」は、なんと2700万円!
Q5. 給料はどのくらいもらえたのですか?
時代や換算基準にもよりますが、現在の貨幣価値にざっと直すと、将軍の世話役である「御中臈(おちゅうろう)」は年収約700万円ほどでした。
「大奥」の実質的なトップの「御年寄(おとしより)」になると約1500万円くらい。最高位で名誉職の「上臈御年寄(じょうろうおとしより)」では約2700万円もの収入を得られました。
最も身分が低い、風呂の水くみなど雑用をする「御末(おすえ)」で年収は約90万円程度と、現在のパートタイマーと同程度でしたが、それでも町家で働く住み込みの女性の倍以上の収入でした。
Q6. 休暇はあったのですか?
将軍に目通りができる「御目見(おめみえ)以上」は、自分や親が重病になるなどを除き、休暇として城外に出ることは許されませんでした。
「御目見以下」の低い身分の者は、奉公後3年ごとに1回、春の時期に「宿下り(やどさがり)」というまとまった休暇が与えられ、里帰りが許されました。与えられる休暇の日数は、最初の3年目が6日間、6年目で12日間、9年目以降は一律16日間です。なお、私的に雇われていた部屋方は、毎年春と秋にそれぞれ宿下りができたようです。
コネさえあれば、誰でも奉公できた
Q7. 定年はあるのですか?
ありません。終身雇用が基本です。
将軍の代替わりのときには、前将軍は江戸城内の別の御殿に移りますが、そのときは大奥も一緒に移動し、前将軍が死去するまで奉公できました。
ただし、上級の女性を除けば、一身上の都合を理由に「御暇(おひま)」=中途退職も可能でした。
Q8. 職場としての「大奥」の雰囲気はどんな感じ?
彼女らの人間関係は、現代のオフィス風景と同じです。
側室候補の「御中臈」同士でも、御台所付の御中臈は将軍付の御中臈に対して「(将軍の「お手」が付いた)穢れたお方」と陰で呼び、将軍付の御中臈は御台所付の御中臈に対して「(男と無縁の)お清の方」と蔑んでいました。
Q9. 「大奥」には、どうすれば奉公できますか?
コネさえあれば、誰でも奉公できます。ただし、「御目見以上」は原則として親が旗本である必要がありました。
一方、「御目見以下」や「部屋方」にはそうした制限はなく、武家はもちろん、町人、農民と身分を問わず誰でも大奥に奉公できるチャンスがありました。
Q10. 女性たちの「大奥」生活での楽しみといえば何ですか?
御殿内に行動を制限され、ほかにも制約の多い生活を強いられた中でも、「つかの間の娯楽」はありました。
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