「あの戦争」から遠く離れて 自己同一化か、それとも差異化か、歴史を文学にする二つの方法

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文学も歴史学も越えて、「物語化された過去」に触れる

アメリカという徹底した理詰めの国に設定されたかつての法廷を受け継ぎ、欧米と対等に渡り合える論理を模索するマリには悲壮さが漂うが、史実と無関係なアニメの台詞を平気で口ずさむ、樋口氏の登場人物には皮相さしかない。

しかし、「米国に犯された母国」をベトナムやアメリカ先住民に重ねてゆくマリにとって、「戦争責任」はもっぱら真珠湾以降しか意味しないが、渋沢栄一の陰謀(もちろん、ばかばかしいくらい架空のものだ)で植民地朝鮮に渡った放哉は、暴力的に孕ませた現地の女性に土下座する。

現実の歴史では問われてこなかった「責任」を問うには、かえってフェイクな想像力が要請されることもあるのだと、二冊の力作の対照は教えてくれる。

五十嵐惠邦敗戦と戦後のあいだで 遅れて帰りし者たちが描いているように、歴史は時として、事実さえもフィクションとして織り込もうとする。

横井庄一や小野田寛郎といった帰還兵たちも、日本社会が自身の実体験を物語に鋳なおす力と向き合いながら、それぞれに証言を「演出」していたのだ。

そこで何が語られ、何がいまだ語られていないのか。両者を仕分ける目を磨かせてくれるという点では、実は文学と歴史学の差はさほど大きくない。

一年でもっとも「物語化された過去」に触れることのできるこの季節を、今年もまた、大切に過ごしたい。

【初出:2013.8.3「週刊東洋経済(住んで損する街得する街)」

(担当者通信欄)

現代のアーカイブ技術をもってすれば、データとして何かを残すこと、過去の体験・記憶を現在、未来に伝えることのハードルは、ないも同然に思われます。ただ、それも人間が忘れる生き物であることとは別問題で、残されたデータがアクセスされないものであれば、それは継承とは言えません。いかにして過去に触れ続けていくか、それはどのような形をとるのか、本文中に取り上げられた書籍、『東京プリズン』『二十五の瞳』なども読みながら、考え続けたい問題です。

さて、與那覇潤先生の「歴史になる一歩手前」最新記事は2013年9月2日(月)発売の「週刊東洋経済(特集は、楽天vs.Tポイント)」に掲載!

【共産化するネット社会?万事をシェアする人類の未来】

インターネットにおいて、多くの「無償提供」を受けること、価値あるものを他人と共有することにすっかり慣れた私たちは、「資本主義的」な社会に生きながら部分的には「共産主義的」な発想を受け入れている、とも言えます。そんな現状を踏まえつつ、よりラディカルな考え方を提示し、「なめらかな」という表現で「あいまいさ」を評価する、今年の話題書『なめらかな社会とその敵』を取り上げて、新しい社会の形、人々が評判を競い合う社会の未来を考えます。

 

「日本はいつからこんな国なのか」を問う 新刊『日本の起源』(東島誠氏と共著、太田出版)も 2013年8月、ついに刊行!

2011年刊行の話題書!『中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史』(文藝春秋)
 
兵士としての小津安二郎を読み解き、「昭和」、「日本」を考える。『帝国の残影―兵士・小津安二郎の昭和史』(NTT出版、2011年)

 

 

 

與那覇 潤 評論家

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よなは じゅん / Jun Yonaha

1979年、神奈川県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。学者時代の専門は日本近現代史。地方公立大学准教授として教鞭をとった後、双極性障害にともなう重度のうつにより退職。2018年に自身の病気と離職の体験をつづった『知性は死なない』が話題となる。著書に『中国化する日本』『日本人はなぜ存在するか』『歴史なき時代に』『平成史』ほか多数。2020年、『心を病んだらいけないの?』(斎藤環氏との共著)で第19回小林秀雄賞受賞。

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