NHK渾身の「AIに聞いてみた」が炎上した必然 バズるワードへの傾倒がもたらす報道の歪み
そのうち、ていねいに相手の話を聞けば理解できることを「あぁ、あの話ね」と当事者気取りで知っているつもりになってしまうのだ。今回の話を通じて感じたのは、そうした取材慣れ、報道慣れから来る奢りがあったのではないかということだ。記者はあくまで取材したことをまとめ、咀嚼し、自分の言葉に変えて物事を伝える媒介役でしかない。真っ白な心で情報を受け入れられなければ、正しく情報を伝えることはできないものだ。
昨今はブログやSNSを通じて、誰もが簡単に情報発信できるようになってきている。そうした情報発信は制約が少なく、自由であり、発想次第では簡単に耳目を集めることができる。しかし、そうした自由な発言と競合しようとするようでは記者の一分が廃るとういものだ。
タイトルにモラルハザードが蔓延している
ウェブ専門媒体として、多くのビューを得ることもビジネス面では重要だろう。しかし、本当にそれだけで良いのか。今回の話は自分の足元を見直すうえでも、極めて印象的な出来事だった。
もっとも、こうしたタイトル付けや記事中での煽りに関連したモラルハザードは、ウェブ専門媒体だけにとどまらないのかもしれない。例えば、朝日新聞は7月25日のコラム「時時刻刻」で加計疑惑、証拠なき否定 政府側「首相指示なし」というタイトルを付けた。
僕は加計疑惑の真実を知る立場ではなく、そこで何かを語るほどの情報も持ってはいない。しかし、“証拠なき否定”というタイトルは、存在を証明する側が証拠を提示するべきという前提を崩している。
“存在しない証拠を出せ”というのは、ご存知のとおり悪魔の証明を求めていることであり、過去に多くのえん罪や、拭えない濡れ衣を着せられて苦しむ人を生み出してきた。大新聞社がやってはいけないことであることは、記者自身も掲載を許可したデスクもわかっているはずだ。
加計疑惑の真偽についてはともかく、“真実ではないという証拠”を示すのが当たり前であるかのような記事が掲載されてしまう編集体制に疑問を感じるとともに、そうした煽りを行ってでもビューを取りたいと大新聞社までが考える現状に、極めて大きな危機感を覚える。
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