NHK渾身の「AIに聞いてみた」が炎上した必然 バズるワードへの傾倒がもたらす報道の歪み

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しかし、よく知らないことを知っているつもりで断じたり、専門家でもないのに専門家のように錯誤しているかのような振る舞いをしたりするのは、記者としての本分を逸脱しているように思えてならない。今回の場合でも、AIというバズワードで煽る記事でなければ、ごくふつうの番組、ごくふつうの番組取材記事に、それぞれなっていただろう。

よりおもしろく、興味を惹く記事にしたいと思うあまり、ページビューを稼ぎたいと思うあまり、行き過ぎたタイトルを付けがちなのは最近の傾向だ。筆者はあまりタイトルを付けるのが好きではないため、編集部にいつもお任せしてしまっているのだが、最終的な“線引き”は筆者自身で行っている。おもしろくなければ読んでもらうことはできない。それは事実だが、エンターテインメントと報道の線引きは明確にすべきだろう。

ちなみに「AIに聞いてみた」はシリーズで7回の放送を予定しているという。番組はエンターテインメントであってもいい。しかし、それを伝えるハフポストは、エンターテインメントなのか、報道なのか?

記者は媒介役でしかない

AIの技術的な限界点が学術的に明らかになってくる一方で、現状のAI実装を現実解として受け入れビジネスへと発展させようとする企業もあり、積極的にマーケティング活動を行っている。マスコミに限らず、AIのようなバズワードが出てくると、それぞれの立場において都合の良い解釈をし始めるのは今に始まったことではなかろう。例えばシステムを販売する営業部門は、AI技術を売り込むため、わかりやすいが正確性を欠く言葉で売り込みをかけたりする。IBMの“認知的”コンピューティングなどはその際たる例だ。

コンピュータは認知などしない。それはIBMも説明しているが、認知的とすることで顧客のイメージを膨らませている。こうした言葉遊びは、新しい技術が生まれ、世の中に拡がっていく過程で必ず行われてきた。

したがって、マスコミがAIという言葉を都合良く解釈したくなる気持ちはわかる。いや、あるいは少々ズレた認識のまま、ハフポスト側が過度な期待と興奮の中で“AIに聞いてみた”という番組について伝えてしまっただけなのかもしれない。

ただ、いまだに「AIにインテリジェンスがあるのだ」と誤認させる説明をする(あたかも専門家に見えるような)人たちが少なくない中で、それに対して反発する層がいることを報道屋として認識していなかったとは言えないだろう。

機械学習は評価モデルを構築する上で重要で、ニューラルネットワーク技術の発展で「いろいろと便利に使える道具」が生まれてきている。それをAIとは別の言葉で伝える手もあったはずだ。“インテリジェンスのように見える”振る舞いはあっても、コンピュータは何も認知はしていない。あくまでも、人間が観察すると知識があるように思える、新たなる発見の手助けになるということなのだから。

僕がこの仕事を始めたころ、諸先輩から「肝に銘じよ」と言われてきたことがある。記者の仕事をしていると取材相手の起業家、専門家などと繰り返し話したり、あるいは自分自身の意見を言ったりするようになる。すると、そうした専門の人たち、実務を経験した人たちと同程度の経験や知識があると、自分自身を高く評価しすぎてしまう勘違い野郎になりやすい。

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