大学への進学にあたっては、最初は建築の道を志した。大胆にも建築デザインの大御所・丹下健三氏に手紙を書いてアドバイスを求めたところ、なんと丹下氏は面識のない若者と会って、長時間にわたって建築家の仕事について教えてくれたという。もっとも、「君は向いていない」と、あっさり断られた。
続いて、工業デザインの大御所・柳宗理氏の元を訪れる。こちらは、「俺が面倒を見てやる」と柳氏から言われ、柳宗理デザイン研究所に通いながら受験勉強をして、東京芸術大学に入学した。
卒業制作は、「阪神電車の通勤車両」。車両の扉幅と乗客の関係から座席配置に至るまで独自の調査を進めた。国鉄の鉄道技術者だった星晃氏からも助言をもらった。星氏もまた、鉄道技術や鉄道デザインの大御所である。
日産に入社する
木村さんは国鉄に就職したかった。その希望を星氏に打ち明けたところ、「今は君のような人材を生かす場がない」という答えが返ってきた。そして、木村さんは日産自動車にデザイナーとして入社した。
日産時代は、初代シルビアやサニークーペといった名車のデザインを手掛けた。日産退社後は京都デザイン会議、名古屋の世界デザイン博といった国際的なデザイン事業を切り盛りしてきた。
大学を卒業してから20年あまりが過ぎたころ、星氏から国鉄のデザインをやらないかと連絡が来た。最初は新幹線200系のカーテンの色の検討という小さなものだった。その後の100系以降は設計の段階から深く車両デザインにかかわっていくようになった。300系、400系、700系、N700系といった新幹線や、「サンライズ出雲・瀬戸」「サンダーバード」といった特急列車のデザインも行っている。
回り道をしながら、ようやく子供の頃の念願がかなった。でも自動車のデザインや内外のデザイナーとの交流が、木村さんの鉄道デザインとして結実していると思えば、決して回り道ではない。
「デザイナーの役割とは焼き鳥の串のようなもの」。これが木村さんの持論だ。「鉄道はお客様に安全、快適に乗っていただくのが使命。そこにコスト、技術、メンテナンスの要求も入ってくる。こうしたもろもろの要求をデザインという軸で串刺しにして、ひとつの形に仕上げるのがデザイナーの仕事」と、木村さんは言う。
多くの人の意見を取り入れるという点では、鉄道デザイナーにとって必要な能力とは、むしろ「聞く力」ということになる。最初はアーティストのように個性あふれる車両をデザインするのが鉄道デザイナーだと思っていたが、この考えはどうやらまったく違っているようだ。
座席の座り具合、窓のかたち、照明……。車両のあらゆるものが計算されてデザインされている。木村さんによれば、N700系の先頭車両はそれ以外の車両よりも天井までの高さが10センチ低いそうだ。だが、そうと気づかせないのがデザインの力だという。次回乗るときには、目を凝らして確認してみようか。
(撮影:梅谷 秀司)
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