100年人生は「戦争くらい起きる」と考えよう 島田雅彦が語る「サバイバル能力」とは
イギリスが資本主義のいちばん「あこぎ」な部分を体現しているわけだから、「どのつら下げて言ってやがんだ」とも言いたいところですが……。同時に、個々のビジネスマンにおいては、そういう資本主義のマイナス面を自覚して、罪滅ぼしのような気持ちで倫理というものを示すところもありますね。
昔から、イギリス人には、カントリー・ジェントルマンへのあこがれがあるんですよ。ロンドンやバーミンガムなどの都会で頑張っていた人々が、蓄えを得たところで早期にリタイアして、田舎の古城を買って、自分たちの手でリノベーションを楽しみながら暮らしたりね。
日本でも、脱サラして田舎で農業するような、Uターン、Iターンが目立ちます。日本人の場合は、十分蓄えたからというよりは、職業事情の悪化とか個人的な理由が多いけれどね。それでも地方へ行くと、移住者たちは結構幸せそうに暮らしていますよ。給料は半分になったと言いながらも。そういった人たちには、『ライフ・シフト』で論じられていることはよくわかるんじゃないでしょうか。
そして、Uターン、Iターンというのは、「競争を避けるために、動ける間に都市を離れる」というサバイバルの方法とも重なってきます。人の行動には合理性があるわけで、いま生存の危機に直面していなくとも、危機のときの行動を先取りして、本能的に選び取っている部分が必ずあるのです。
生き残りのキモは「遊び心」
そして、もうひとつ。サバイバルの知恵として、人間にはグレる自由があるんですね。
「合理的に考えれば、こういう判断のほうが正しい」と、その都度、理性的に判断しているけれど、その理性そのものを批判したり、時にはそこから逸脱して狂うことを選ぶ――人間にはそういう部分もあるということです。
たとえば、このままずっとまじめにまともに生きていたら、そのうちAIの支配する世界の家畜になってしまうかもしれない。そのとき、AIが、バグが少なくて狂わないものだとすれば……「自分たちの生きる道は、AIにできないことをすることだ! それはグレたり狂ったりすることだ!」とかね。
これは究極的には、「なぜネアンデルタール人は滅びたのに、ホモサピエンスはここまで繁栄したのか?」という話につながってもきます。
諸説あるけれども、そのひとつを一言で言えば、「路傍に咲く花を美しいと思うから」。
花が咲いていれば、どんなに飢えていても、それが食えない花でも、ホモサピエンスはそこに立ち止まって「きれいだな」と思う。それを摘んで誰かにあげたりする。転じて言えば、アートを作り出す能力を持っていた。これが生き残りに直結したのではないかということです。
要するに、ホモサピエンスは、役に立たないことをとても熱心にやりたがるんですね。ヨハン・ホイジンガによって「ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)」という言い方がなされましたけれど、まさに、遊び心を持っているから生き延びられた。
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