「釣り女子」を育てる目からウロコの"仕掛け" 釣り人口はピーク時の3分の1になっているが…

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しかし、会社がここまでになるには苦労もありました。

両親2人が苦心して作った仕掛けは、昔気質の釣り人からは、「こんなもの売れない」と言われたそうです。確かに発売当初はほとんど売れず、細々と家で作っていました。それでも針に糸を結ばなくても済む仕掛けなど改良を重ねた結果、10年近く経って爆発的に売れ出します。そこに後の由美社長のご主人となる歯朶崇氏が入社。ロサンゼルス、上海などに子会社を設立したところで、社長に就任します。

社業も順調に推移し、ベトナムに大工場を建設しました。ところがその竣工式でベトナムを訪問中、歯朶氏が、食中毒が原因で急死します。享年55歳。同行していた由美さんもただ茫然とするばかりでした。

それでも会社は続けねばなりません。それまでは経理しか担当していませんでしたが、覚悟を決めて社長に就任します。もともと、釣り好きの父親に連れられていろいろな釣り場に行っていた由美社長。釣りは大好きでした。その好きな釣りのための針や仕掛けを作るということで、スムーズに仕事に入っていけました。会社を引き継いで8年。女性ならではの発想を生かして、新しい釣り体験を提唱しています。

「山を見て海を感じて、釣りほど癒やされる趣味ってほかにないと思うんです。自然を体いっぱい感じられるすばらしい体験です。“もの”を中心にした視点から“こと”を中心に考えていこうと思っています。キャンプなどのアウトドアと同じように、釣りも気軽に楽しんでもらえるよう釣りの仕掛けを考えたいですね」と歯朶社長。キャンプ場では、何も道具を持たずにバーベキューが楽しめたりします。同じように、手ぶらでもその場ですぐに釣りが楽しめるような仕掛けを検討中です。

アパレルも開発

釣りをするときに役立つ服を自社開発している(ハヤブサ提供)

また釣りをするときに着てもらうアパレルも開発。自らの汗で体を冷やしたり、蚊が寄り付かない防虫作用があったりと、その機能は釣り人たちによって折り紙付き。そうした機能性に、街で着ても似合うようファッション性を加味したアパレル「Free Knot(フリーノット)」を展開中です。

そして釣り人口が減少する中、リアルな体験をしてほしいとの願いから、女性、子供を中心にさまざまなイベントを展開しています。冒頭に述べた「ハヤブサLady 隼華」の活躍や子供たちの海づり公園体験に加え、着ぐるみの「ハヤタ」「ハヤナ」も加わっての「キッズダンス」や、釣った後の料理教室など、さまざまな試みにも挑戦中です。

歯朶由美社長の釣果(ハヤブサ提供)

女性や子供も含め家族全員で釣りを楽しむことで、その楽しさが次世代に受け継がれ、釣りを愛する人々のつながりが大きな輪になることを願っています。

釣りはまた、世界共通のエンターテインメントでもあります。いまや全世界を相手に針や仕掛けを販売している歯朶社長の夢は、「70歳で世界一周して、どれだけハヤブサの商品を使ってくれているか見て回ること」だそうです。

そして目先の目標はといえば、今年中に50kgの大物を釣り上げること。以前、1時間の格闘の末30kgの魚を釣り上げた歯朶社長です。自社製品を使って世界の海で大物を釣り上げることを期待しましょう。

竹原 信夫 日本一明るい経済新聞 編集長

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たけはら のぶお / Nobuo Takehara

有限会社産業情報化新聞社代表取締役(日本一明るい経済新聞編集長)。1971年3月、関西大学社会学部マスコミ学科卒、同年4月にフジサンケイグループの日本工業新聞社に入社。その後、大阪で中小企業担当、浜松支局記者などを経て、大阪で繊維、鉄鋼、化学、財界、金融などを担当。1990年4月大阪経済部次長(デスク)、1997年2月から2000年10月末まで大阪経済部長。2001年1月に独立、産業情報化新聞社代表に。年間約500人の中小企業経営者に取材、月刊紙・日本一明るい経済新聞を発行している。
 

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