日本のスーパー戦隊シリーズが逆輸入――。
1975年の「秘密戦隊ゴレンジャー」以降、日本で40年以上続く東映の特撮ドラマ「スーパー戦隊シリーズ」。その英語ローカライズ版は1993年にアメリカで放送が始まった。
「パワーレンジャー」のタイトルで制作され、特撮アクションシーンは日本版のものをそのまま使い、ドラマ部分のみをアメリカ人キャストに差し替えて放映された。日米ハイブリッドともいうべきユニークな内容だが、全米で放送されるや否や、アメリカの子ども番組史上最高の視聴率を記録し、おもちゃの品切れ騒動がニュースになるほどの社会現象を巻き起こした。以後、毎年新シリーズが制作され、“米国で最も成功したジャパニーズコンテンツ”ともいわれている。
そしてこのたび、120億円という総製作費を投入し、ハリウッドのスタッフたちの手によって映画化した『パワーレンジャー』が7月15日から公開されている。
すでに全米では3月に公開されているが、現地点の興行収入は、全米で約8500万ドル(約96億円)と、高水準。18歳以下の子どもたちから、1990年代テレビシリーズの視聴者だった25歳以上のファンまで幅広い年齢層の観客が映画館に詰めかけている。
このヒットは24年前の英語ローカライズ版の成功なしには語れない。そこで今回、「スーパー戦隊シリーズ」のプロデューサーとして「パワーレンジャー」の成功を間近で見てきた東映の鈴木武幸顧問に「パワーレンジャー」がどうやってアメリカでヒットし、そして映画化されて日本に戻ってきたのか、その経緯について聞いた。
スーパー戦隊好きなプロデューサーが米国版を熱望
――「パワーレンジャー」は1993年にアメリカで放映が始まりましたが、そもそも「パワーレンジャー」とはどのようにして生まれたものなのでしょうか。
放送が開始された1993年の2、3年前にハイム・サバン(プロデューサー)が何度も来日して、作りたいと打診をしてきました。最初は本気なのか疑問だったのですが、話を聞くうちに、相当特撮ドラマが好きということがわかったし、勉強もしているなと感じた。何より子どもたちに喜んでもらおうという意欲を感じました。それでOKしました。
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