民法は神棚に飾るものではなく、使うものだ 120年ぶりの改正、その舞台裏を聞いた
日本は欧州から民法を輸入しましたが、1世紀以上にわたる独自の運用実績を持つ唯一の非西洋の国です。今回の改正でも、欧州をモデルにするのではなく自分たちの経験を基に自前の改正を行いました。
ただ、実務への影響を懸念する経済界からは法制審議会(法務相の諮問に応じて民事、刑事などの基本的な法律の事項を調査・協議して答申する審議会。改正の要綱案について議論する)へ多くの声が寄せられたため、実務をなるべく変えずに済む限度で現代化していく方針がとられました。多くの企業にとって、今回の改正で実務を変えなければいけない部分は非常にわずかです。
私が2007年に東京大学を辞職して法務省に移った際には「特定の内容の改正を行い自分の理想を実現するためだ」と言われましたが、そうではありません。今回の改正の中身は私の理論とは必ずしも合わない内容です。
日本の民事立法はコンセンサス方式で、学界だけではなく法曹界、消費者、経済界などさまざまな関係者の意見をくみ上げてルールを作ります。まとめ役の人間が自分の意見を言い出したら絶対にまとまりません。そのため、7~8年間は自分の説はいっさい主張しませんでした。今回は学界や実務界が共に合意できる内容を優先して改正案が作られました。
毎年改正してもおかしくない
今回、民法を改正したという事実そのものが日本にとって重要です。120年間改正されなかった民法を改正したことで、今後のハードルは大きく下がる。国会審議の終盤でも、議員から次はどの部分の改正が必要かという質問が出ていました。こうした意識が出てくるのはいいことです。
民法は生活上のルールが書かれているものです。「実際に存在するルールがそこに書かれていないのはおかしい」という目で、一般の国民や企業にも新しい民法を見ていただけるとありがたい。
実際にトラブルに巻き込まれた際に民法を読んでよくわからないと感じたら、民法は変えられるという前提に立ち、わかるようにしてくれ、という声が上がることが必要です。民法は神棚に飾るものではなく、日常生活で使う法律だという意識で、社会から改正の声が上がるのが望ましい。
ドイツなどはほぼ毎年民法を改正しています。本来はそれでもおかしくない。社会の変化のスピードが速くなれば、改正が必要な部分も毎年出てくると思います。
(談)
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