観光が好調な小田原、知られざる歴史と文化 「ういろう」の元祖は小田原にある
あるとき、團十郎がのどの持病で声が出にくくなり、役者人生が危ぶまれていた。
しかし、東海道五十三次の主要な宿場であった小田原の名物として天下に名を知られていた名薬「透頂香」を服用してみると病がすっかり治り、そのお礼にと創作し、自ら演じたのが歌舞伎十八番の「外郎売」なのだ。
外郎売りの口上は、アナウンサーや役者のトレーニングでも使われるため、ご存じの方も多いだろう。
90歳を超えた先代から突然「後を継いでくれ」
このような長い伝統を持つ老舗を継承するというのは、どのようなことなのか、外郎家の25代目当主で、ういろう社長の外郎武氏に話を聞いた。
「薬で地域の健康を守り、お菓子で来客をもてなすという“先祖の思いを受け継ぐ”ということを何よりも大事にしています。
小田原での500年の歴史の中で、豊臣秀吉による小田原攻め後は、武家の身分も持ち北条氏に仕えていた当家も、小田原を追放されてもおかしくなかったはずです。また、太平洋戦争時の企業統制令により、神奈川県下に20社余りあった製薬会社を1社にまとめる命令が出たときも、廃業を迫られました。
しかし、いずれの時にも、薬で地域の健康を守るという教えを忠実に実践していた結果、外郎家をなくしてはならないという地元の人々の支えや嘆願があって、危機を乗り越えることができたのだと思います」
先祖の思いを受け継ぐとは、言うはやすいが大変なことだろう。実際、25代目を継ぐに当たっても苦労されたという。
実は、武氏は、外郎家先代の親戚筋で、男子の跡取りのないまま90歳を超えた先代から、突然、後を継いでくれと白羽の矢が立ったのが、2004年のことだった。
当初は、薬剤師の資格もなく、薬の知識のない自分に老舗の漢方薬局の経営は無理と断ったものの、数百年にわたって続いた家業を守りたいとの思いから、覚悟を決めて外郎本家に入り、継ぐことにしたという。
そして、実際に本家に入って感じたのは、先代から数百年にわたる先祖の思いを受け継ぎ、薬を守っていくためには、先代と同じ薬剤師の立場になり、本当の意味で心の通じた会話をしなければならないということだった。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら