――監督自身も電子書籍を購入したりとか、新しいテクノロジーを積極的に取り入れていると聞きましたが。
電子書籍はね……。使っているというか。もう面倒くさくなったので、孫にやっちゃいました(笑)。僕としてはパソコンのほうが使いやすいですね。
当時と寸分違わぬものを作った
――先ほどは空襲の描写のことをお話されていましたが、それ以外の時代考証で気をつけたことは?
原作者の河童さんが本を書くときに集めた資料を見せてもらいました。それから河童さんに神戸の市役所を紹介してもらい、そこに残っている当時の資料を貸してもらいました。そういうのがないと、こういう企画はなかなか実現しない。
そのかいあって、映画に出てくる妹尾家前の通りですが、妹尾家側の両隣50メートルくらいは、まさに妹尾洋服店があったその当時と寸分違わないものを作りました。そういった背景の舞台が当時のようになれば、その前に来る人物も当時の人間のように見えてくる。そういった時代の中で、太平洋戦争がどのように始まったのかは、心して描いたつもりです。
――劇中では、軍国主義者だった大人たちが、終戦を境目にガラッと変化してしまうという描写がありました。監督にもそういった記憶はありますか?
終戦のときが10歳でしたから、そりゃありますよ。昨日まで本土決戦だと言っていた先生が、2~3カ月経ったらいきなり民主主義だと言い出すわけですから、「え?」って。どっちもウソだろうと思ってしまいますよね。
――すると、降旗監督にとっても原作に共感する部分が大きかったということなのでしょうか?
とても共感しました。ただ、原作が最初に出版されたときには、本としては面白いと思っていたけれど、これは映画にはならないなとも思っていました。その当時のCG技術ではどうにもならないと思いましたし、CGを使わずにやるとなっても、もちろんある程度はやれたとは思いますけど、B-29の編隊なんかは撮れないだろうしね。だから映画化は考えずに面白い家族の話として読んでいました。先ほど言ったようにCG技術が映画化を可能にしてくれたのです。
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