戦争がどう始まったか、心して描いた 巨匠・降旗康男監督が『少年H』で伝えたいこと

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――1966年のデビュー作『非行少女ヨーコ』から、およそ50年にわたって現役で映画監督を続けてきた降旗監督ですが、あらためて振り返ってみていかがですか?

あまり頑張らなかったからよかったんじゃないですかね。すべて成り行き任せ。無理をしなかったですしね。ケンカをしそうになると、するっと方角を変えてみて無理をしなかったりとか。

僕は「何となく人間」

――昨年の『あなたへ』に続き、2年連続で監督作品を発表したわけですが。

そんなに無理をせずに2本ということなら、作れるのですが、無理して2本は作れないですね。やはり肉体的にはしんどいですから。ただ僕なんかは“何となく人間”だからね。流れに身を任せて、気楽にということがいちばんかなと思っています。あと2本撮ろう、3本撮ろうとは思わない。流れに身を任せながら、次の作品がうまくできればいいなと思っています。

――監督のように生涯現役という生きざまにあこがれる人も多いのではないでしょうか?

そんなことを言われても困っちゃうね(笑)。僕は無理して生涯現役でなくてもと思っているんですよ。ただ僕はそれしかできないですから。何かするために、皆さんに「申し訳ないけどちょっと付き合ってください」と言いながら、ここまで来たという感じですね。

(C)2013「少年H」製作委員会

――監督から見て、若い世代はどう映っていますか?

活動屋(映画人)の世界で言えば、特に引きこもりの人もいないし。そこにはただ活動屋がいるだけなんで、あまり若い人ということを感じないですね。お酒を飲みに行こうというときに、ちょっぴり誘うのを遠慮しようかなとか、そういうことはあるかもしれないですけどね(笑)。

――映画魂やテクニックを若い世代に継承して、渡していこうという意識はどうですか?

いや、僕が渡そうと言ったって、いらないと言われるだろうしね(笑)。僕は僕のやり方で、自分の道を行くしかないということですし、活動屋それぞれが、それぞれの道を行くしかないと思っています。そこで自然と出てきたものが積み重なって、映画の歴史になっていくのだろうと思います。

(撮影:尾形 文繁)

壬生 智裕 映画ライター

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みぶ ともひろ / Tomohiro Mibu

福岡県生まれ、東京育ちの映画ライター。映像制作会社で映画、Vシネマ、CMなどの撮影現場に従事したのち、フリーランスの映画ライターに転向。近年は年間400本以上のイベント、インタビュー取材などに駆け回る毎日で、とくに国内映画祭、映画館などがライフワーク。ライターのほかに編集者としても活動しており、映画祭パンフレット、3D撮影現場のヒアリング本、フィルムアーカイブなどの書籍も手がける。

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